「心に残るロータリアンの言葉」

【第41回】

       

                                  

中井 義尚会員

「ロータリーは何をしてくれたか」                   
 ポール・ハリスの自伝「MY ROAD TO ROTARY」という本の序文に「ロータリーとは何だ?この問いには何千という答えが何千という人によって用意された。しかしこれを答えるのは依然として難しい。けれども、ロータリーが我々に何をしてくれたか、ということを考えるとこれは割合に簡単だ」と。さらに、ある人の言葉を引用し「もしロータリーのお陰で私たちが、人生とか人間に対して温かい見方をすることが出来るようになったなら、つまり人生とか人間に対して暗い意地悪いイメージを抱かず、温かいイメージを持つことができるようになったなら、そしてもしもロータリーが私たちすべてに対して広い心を持ち、他人の長所を認めてやるような心を与えてくれたならばまた、もしもロータリーのお陰で人生の喜びを美しさを自分でも取り入れ、他人にも施すというタイプの人たちと快いおつき合いができるようになったとしたなら、これで我々がロータリーに期待していることの全てをロータリーは我々に与えてくれたことになる」とこう書いているのです。           
 R.C.は修道院ではありません。毎年私たちが会費として出しているお金の中で、本当に社会奉仕に支出されている額はさほど多くないのです。大半のお金はクラブの維持、親睦等のために使われます。それでいて奉仕だ奉仕だと声高に叫べば、世間から誤解を受けるのも不思議ではありません。ロータリアンは普通の「善意」を共通項として集っている人々なので、決して特別の人間ではないのです。
 善意というものも余り大げさに考えない方がよろしい。私どもは大自然から太陽の光の矢を受けているように、様々な恩恵を四方八方から受けています。我々もまた、好意や愛情の矢を世間や自然に向けて射ております。世間や自然の一部として生きているということはそういうことです。       

          森三郎「私のロータリー」(1991)から。第2570地区(PDG)(寄居R.C.)