「心に残るロータリアンの言葉」

【第32回】

      

                                  

中井 義尚会員

「育てるロータリー」                   
 私は、特にけしからんと思うのはメーキャップに来て早退する方がありますが、あれは失礼です。ホームクラブへ出たがどうしても用事があるので帰られるのはまだいいのですが、メーキャップしてほしいと頼みもしないのに勝手に来て、食事だけして帰る。あんな失礼なことはありません。これは、他人の家にきて勝手にご飯を食べて黙って帰るのと同じです。こんな手合がロータリアンでいる限り、ロータリーは進歩しません。まぁロータリー以前の問題で、少なくとも紳士のすることではありません。
 次にロータリーの増強の理論でよく言われる質か量かの問題ですが、これもロータリーと企業とを考えますと、人の生命は有限ですが、企業或いはロータリーは無限だという所にこの問題をしっかり考える必要があると思います。企業が生きて行く為には売上を減らすようでは永遠の生命を保てない、やはり企業が四囲の状況如何に関わらず売上増強を常に夢みている如く、ロータリーも永遠の生命を保つ為には常に会員を増強しなければロータリーは死ぬでしょう。ロータリーはこれからはロータリアンを育てることを考えなければならなと思います。これまでのように出来合いの人を持って来る時代はもう過ぎ去りました。企業と同じようにマーケティング即ち市場開発のための市場調査をして、将来可能性のある若い人をどんどんロータリアンにして、既成のロータリアンがつききりで教育をし、有能なロータリアンを育てあげて行く。私はこの方法が整ったら今迄より優秀なロータリアンが生まれると思います。若い人を入れてロータリー精神をどんどん注入して行くと、それこそ筋金入りの立派なロータリアンが生まれます。私は今こそ育てるロータリーを考える必要があると思います。      

                堀場雅夫氏の「ロータリーこれでよいのか」より(その2)。
京都R.C.(P.D.G) (1983年関西ロータリー研究会にて)