「心に残るロータリアンの言葉」

【第30回】

       

                                  

中井 義尚会員

「合理化時代と職業奉仕」                   
 職業に携わる者は何故か一つの法則によって引きつけられている。(A.F.シエルドンの発言より)
(1) 物は絶えず静止しようとしている。重力から脱して移動させても、その力が弱くなれば再び静止してしまう。
(2) 取引の上手な企業よりも、生産をもって社会に寄与している所に人は集まろうとする。
(3) 働く人を大切にする企業には人は落ち着こうとする。
(4) 昇級とか適正な職場配置、更に昇進のある所に人は必ず定着する。

 働く人を引きつける力を引力に例えて、引力こそ職業の価値観に。この価値観を安定した金銭収入に求め、働く人の意欲をこの金銭を得る場所での奉仕の心に求めている。   
 更に奉仕を「自然の摂理」“PROVIDENCE”に捧げる心と結びつけている。             
 以上はA.F.シエルドンの意見であるが、シエルドンは結局は金銭であるが、その結果を生む過程において「自然の摂理」に従って“SELF”を捨てて奉仕すべきであると説明している。 
 この考えに対してポール・ハリスはシエルドンが合理的に考え過ぎていると批判しながらも、反対も賛成もしていない。            
 私は古い医学を学んだ人間の一人だが、医師の仕事はBeruf(天職)と教え込まれて育った。現在もその気持は余り変っていないが、ドイツ医学を教えられた者は総て同じであると思う。然し医学の本流がアメリカに移ってから、この考えは完全に消滅した。     
 私は、医の専門職から天職観を除外する事は、医師の自滅につながると考える人間であるが、現在の医学者の歩みに、口惜しさを覚えている。                     

           姫路R.C.西村祥三氏(関西R.C.研究会より(1983年)