「心に残るロータリアンの言葉」
【第28回】
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中井 義尚会員 |
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「作家H・テーラーの口から聴く(当時82才)」 | |||||||||||
ふりかえれば、1932年私はクラブ・アルミナム会社の債権者たちから、破産した同社の立て直しの役目を頼まれました。この会社は、台所器具や家庭用品を売るのが商売でした。全資産よりも債務の方が40万ドル超過しておりました。破産はしたがまだつぶれてしまってはいなかったのです。私はシカゴの一銀行から運転資金として、現金6,500ドルを貸してもらいました。 破産した会社の製品は良質であったのですが、競争業者もまた上等の台所器具を売り、その上広告をよく出して商品名が知れ渡っていました。破産会社には立派な社員が働いていたが、競争会社も同様であった。ですから金融の点で優る競争会社の方が有利でした。 このような障害とハンディキャップの下では、わが社としては競争会社の持っていない何ものかを捜して、これを中心に推進するほかに策がなかったのです。そこで考えたのは、社員の人格の良さ、信頼性、およびサービス精神これを中軸にしようと決めました。そして第一に社員の選考には細心の注意を払うことにしました。第二に、採用後は男女を問わずよりよき人間に成長するよう力を入れたのです。 「正しきは力なり」と私たちは信じました。そして常に「正しく」あるべく最善をつくすことに決意しました。われわれの業界では、他の業界と同様に何らかの社訓のようなものを持っていましたが、たいてい長たらしくて記憶するのがむつかしく、実用的ではなかったのです。そこで私たちは、社員の一人一人がすぐに覚えられる簡単な道徳の物差しが必要だと考えました。同時にその尺度は「何を為せ」と命ずるのではなく、質問を発して自分で判断させるのがよい。その企画は、その政策は、その解説は、その行為は、正しいか正しくないかと。 そのような簡潔な道徳の物差しはないものであろうかと、いろいろな書いたものをさがしましたが見付けることが出来なかった。1932年7月のある日、私は机に倚って神様に祈りました。自分の思考言動にあたっての簡明な正しい道徳尺度を授けたまえと。すると直ぐに神様の啓示がありました。私は白いカードの上に一気に書きしるしました。
以来わが会社の社員は、20年以上も心をこめて努力しつづけました。フオアウエイ・テストに表現されている理想に、歩一歩到達することができたのです。その結果として売上も利益も社員の収入も順調に増加しました。1932年における破産の状態から、20年の間に完全に立ち直り、負債は完済したのみならず、株主には100万ドルを越える配当をし、その上なお200万ドルに上る資産をつくりました。これらはすべて、当初のわずか6,500ドルの現金投資と、フオアウエイ・テストと、神様と高き理想を信ずる善良な社員のたゆまざる働きの酬いなのであります。 R.I.366地区PDG塚本義隆(大阪R.C.)氏の「続話・フオアウエイ・テスト」より。(1975年8月発行) |