「心に残るロータリアンの言葉」

【第24回】

 関西ロータリー研究会での発言から何編かを披露いたします。    

                                  

中井 義尚会員

「戦前の日本ロータリーより奉仕について」          
 米山梅吉氏の奉仕論、とくにロータリーの職業奉仕の理念は、進歩的な教養ある実業家をひきつけるものがあった。当時軍人や官公吏などの忠誠には陽明学という立派な哲学的基礎理念があったのに、当時の実業家の富国強兵を目指す産業精神には何の理論的基礎もなかった。そこで職業というものは金儲けや食うためにあるのではなく、国家社会に奉仕するために存在しているものであるという斬新な職業奉仕の理念に飛びついたのである。      
 しかしながら明治維新を経て大正デモクラシーといわれていた当時の日本の社会もなお旧態依然、明治の教育勅語で枠をはめられていて、奉仕の理念はともかく、ロータリークラブのフェローシップをもとに生まれたボランタリーグループの精神はもとより、その組織運営などなかなかよく呑みこめなかった。              
 そこで日本のロータリーはすぐれた外来思想の一つとして受け入れたが、日本古来の固有の神道や、渡来してきた仏教、儒教それにキリスト教の教えとどういう関係になるかということが論議された。綱領は綿密に読まれていたが、2つのモットーはあまり正しく理解されていなかった。「SERVICE ABOVE SELF」は奉仕第一自己第二と記され、「HE PROFITS MOST WHO SERVICES BEST」は奉仕をすればお金が儲かると訳されていたが、サービス(奉仕)という言葉も今日のように日本では広くふんだんには使われてなかった。1933年の東京での地区大会で井坂孝ガバナーは次のように述べている。「もともとロータリーは外来の思想ではなく人間本来持っている善い種の芽生えたもので、これを一つの形式にとりまとめて人間活動の指針としたのはアメリカの手柄である。ロータリーは着物の裏をととのえる着心地を良くするような仕事をやっている。身体に密着するのは着物の表ではなく裏であり、ロータリーもそのように密着して住み良い世の中をつくろうとしている。」と言っている。       

 (1972年(昭和47年)関西ロータリー研究会での直木太一郎氏の講演録から)