「心に残るロータリアンの言葉」

【第22回】

 ロータリーの友創刊号に論説として書かれたもので、東京南ロータリークラブ(昭和25年8月創立)の初代会長を務められた方です。     

                                  

中井 義尚会員

「私観ロータリー精神 金森徳次郎」                   
 ロータリークラブに入って3年、ロータリーとは何か、未だ十分に心に染み込まないが、書物も読み、地区大会にも参加し、内部の活動を見、外部からの批評も聞いて一貫精神を感じない訳ではないが、何となく混沌として統一の無いものを感じる。私達が今やっていることが非常に表面的なところを動いているだけではないか、ロータリーの理念にひたむきに飛び込んでいると言えるであろうかとの疑惑が常に身につきまとう。理想と現実との違い、国情や社会事情の違いで画一性を計ることの無理があり、結局大きく唱えて、小さく行うのそしりは免れないようです。旦那の昼食会かと錯覚または、悪評もある。然し私が最もロータリーの好きな点…他にどんな欠点があっても、ロータリーが好きな点…は奉仕の精神です。私はロータリーの玉の中、奥深くに「奉仕の理想」の火の玉があり、その外側に無数の「奉仕の種」が浮いていて、それは共に動き、流れて、あの大空の星のようなものを想像しています。その「奉仕の種」の一つ一つが中心の「奉仕の理想」に焦点をあわせているのです。   
 ポール・ハリスも申して居ります。         
 この世の中は常に変遷する。我々は変遷する世界と共に変遷する用意がなければならない。ロータリーの物語は幾度も、幾度も書き替えなければならないであろう。「奉仕の種」は時と共に動き、変わるでしょう。然し、その中心の火の玉「奉仕の理想」はかわらないのです。      

                (ロータリーの友創刊号より)