岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
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〜会長の時間 3月〜

 2016年 3月18日 第1914回

今日は、3月13日の日曜日は春木川・轟川の清掃奉仕にご参加戴きありがとうございました。市民病院横の春木川、両岸の遊歩道にはあまりゴミはなく河川にはゴミが多く見受けられました。しかし河川の護岸が高く、危険を伴うので降りるわけにいかず、そのままにして若い青年団の方々におまかせすることに致しました。
さて、暖かくなってきました。季節は正直、来週初めにも桜が開花するようです。さて、やきもきしていたリオ・オリンピックの男女マラソンランナー代表が発表されました。残念ながら、なでしこジャパンはリオ行の切符を手に入れる事は出来ませんでした。次回、フランスでのワールドカップ、東京オリンピックに向けて新メンバーが加わった再生なでしこジャパンの活躍を期待したいものです。
さて、2週間前上京してきました。3つの目的がありました。1つ目はサラリーマン時代のOB会への出席、一年ぶりですが旧交を温めました。2つ目は世田谷区池尻にある学生寮訪問、宿泊もしてきました。満室で33名収容出来ますが、ここ数年は入寮希望者が少なく在寮生が半分ほどでした。今年は3月10日の東京大学の合格発表を経て何とか10名前後の入寮希望者があると聞いており、16日に入寮選考会がございました。今年の入寮生は多士済々、帰国子女や32歳の家族持ちの医学部入学生もいました。3つ目は港区に所在します東京都庭園美術館を訪れることでした。
旧朝香宮邸で港区白金台にあり1933年竣工、アール・デコ様式の洋館建築物です。1947年〜54年まで吉田茂外相・首相の公邸で1955年〜1974年まで赤坂迎賓館が改装されるまで、国賓・公賓の迎賓館としての役割を果たしました。1981年、土地、建物は東京都の所有になり、1983年東京都庭園美術館として一般公開されました。1993年、東京都の有形文化財、2013年には開館30周年を迎え、本館の修復と裏側に新館が建築されました。2015年には本館・茶室・正門が国の重要文化財に指定されました。JR目黒駅から徒歩で6〜7分くらい、敷地は5500坪、港区白金台の一等地にあります。元々この白金御料地は江戸時代讃岐松藩松平家の下屋敷後、版籍奉還で国有財産に、そして1917年(大正10年)その一部10,000坪の土地が明治天皇より朝香宮家に下賜されました。是非、見学して下さい。新緑の季節が素晴らしいと思われます。さて、いつもの勉強の続きです。

◆これがロータリー(27)◆
Rotary Badge※:─(ロータリーの紋章)

※笹部誠ロータリーアレコレ、神戸R.C.ロータリーの紋章、R29-12(理)
1905年3月23日、第3回の会合でBadge制定の動きがあった。最初の紋章はChicago R.C.の会員で彫金師であった。Montague M.Bearが作ったとされているがこの時点ではMontagueは会員でなかった。
最初の紋章はHarry Rugglesが作ったのである。彼は当時の新聞広告の馬車の販売広告に目をとめ、例会場持ち廻りを物と思想の伝達手段として馬車に結びつけて13本の支柱から成る馬車の車輪をもってRotaryの紋章とした。所がこの紋章では動きが見られない。馬車の車輪では品がないと云う批判が出て、Paul Harrisは当時の会員Montague M.Bearに改良方を依頼したのが、1906年のことであったと云われる。そこでMontagueは上品な二頭立の馬車の車輪を作ろうとして144の細かい支柱の華奢な車輪を作り、その上にRotary Clubとかき、その下に運動を示すため雲をつけた。而し残念なことにこの紋章も単純で静的にすぎると云うことでその寿命は短かかった。特に幻灯機の製作者であったLong Tom Phillipはこの雲は塵に見えるし、塵が車の後に見えるのは解かるが車の前に見えるのはおかしいと非難した。そこでMontagueは12本の支柱により更に軽快な馬車の車輪
の下半分にリボンをつけ、その周囲に雲をつけ、リボンの中にRotary Clubとかき、車輪の上にChicagoと書いた。これが1910年の全米連合会が出来るまでのChicago R.C.の紋章であった。


和歌山ロータリークラブ 小 中 義 美


◆ひと口基礎英語◆
 Can you give me a discount?
  値引きしてくれませんか?

 2016年3月25日 第1915回 

皆さん今日は、桜の開花便りが届くようになりました。各地、例年より少し早いのでしょうか。
さて、先週末3月19日〜21日までの日程で、40周年記念親睦旅行に出掛けて参りました。出発の土曜日は生憎小雨、関空から石垣島まで直行便です。現地も小雨でした。曇っている間はジャケットも必要でしたが、さすが亜熱帯地方、陽光が射しますとワイシャツ、半袖で充分でした。石垣島、竹富島、西表島(いりおもてじま)の観光を存分に楽しみました。3連休でしたらから、小さな子供連れの観光客が数多く見受けられました。石垣島は台湾に近く、大きなクルーズ船が停泊し、お店の方にお聞きしますと台湾や香港からの観光客が数多く訪れますとのことでした。無事に旅程を終了し、21日の夜19時半過ぎに関空に到着したわけですが、外気の寒さにぶるぶる、本土はまだまだ寒さから抜け出ることが出来ないようです。今回は会員、ご家族、参加者合計31名の旅でした。この記念旅行を早くから企画、立案戴きました大石親睦委員長はじめ親睦委員の方々そして、この旅のツアーリーダーでありました亀井親睦副委員長様に厚くお礼申しあげます。有難うございます。 では、勉強を始めましょう。

◆これがロータリー(28)◆
Rotary Code of Ethics:-(道徳律)

20世紀の初め頃、米国は教育、文化、経済の面で輝かしい発展を示し乍らも反面商業の面では道徳は廃退し、悪徳業者の横行は著しく何等かの社会倫理の改善が望まれている時期でもあった。
このような時期にRotary Clubが誕生し、会員の親睦と職業上の相互扶助を綱領として発足した。当時の会員の大部分は田舎出の中小企業者許りだったが相互に物質上のみでなく精神的にも互に励まし合い援け合いに努力を重ねた結果僅か数ヶ年の間に経済的にも社会的にも地域社会での中心的人物となり、一流の事業家となった。所がこのような自分等の利得を自分等のみで享受してよいのだろうか、地域の人々にも共に分ち合うことがいいのではないかと思う気運が高まりつつあった折から1908年にA.F.Sheldonの入会と共に初めてRotaryにServiceの概念が導入された。
Sheldonは「商売の科学はServiceの科学である」とし、「永続的に成功する商売は相手方にServiceを提供することによってのみ認められるもので、商取引きに関係するすべての人々が利益をうけるものでなければ正当なものでない」と力説した。このようにしてRotaryにServiceの概念が定着してくるにつれて職業上のServiceの在り方についても具体的理念への関心が高まり、1910年になってChicagoR.C.に初めてBusiness Promotion Committeeが設けられ会員の職業上の理解の増進と共に倫理概念が芽生えてきた。
1913年Buffaloの大会で職業上の倫理を簡単に表明することが議決され、起草委員が任命され、1914年Houstonの大会で倫理基準案が提出され、※翌年1915年SanFranciscoの大会でその起草案が無修正のまま採決された。これがRotary Code of Ethics(道徳律)なのだ。
※道徳律原案の起草に当った人はアイオア州Sioux CityClubのメンバーでJ.R. Perkins. Dr. Frank Murphy他3名の5名です。

次に道徳律を概略を述べておく。
道徳律には前文がある。それは
「我々は共通な人間性(思いやりの気持のこと)を求める心を表明するものである。自分の取引き、自分の欲望、自分をめぐる諸関係は常に社会の一員として最高の義務を考慮に入れるべきもので、職業生活のどんな立場においても亦当面するどんな責任においても、自分の主な思考はその責任を果たし、かつその義務を履行しなければならない。而かもその責任義務を完了したとき人類の理想と成果が当初よりも多少でも高揚されるのである。このような考えから下記のR.I.の職業倫理基本である道徳律は遵守しなければならない。」

和歌山ロータリークラブ 小 中 義 美

◆ひと口基礎英語◆
 Maybe next time. また今度。