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2017年〜2018年度
岸和田東ロータリークラブ会長
池 内 清 一 郎

 2017年 10月 6日  第1982回

「米山梅吉氏について」

今月は、「経済と地域社会の発展月間・米山月間」です。
今日は、米山梅吉氏についてお話をします。
米山氏は、明治元年,東京で生まれ、11歳のときに米山家の養子となりました。
その後、米山氏が20歳のときに念願の渡米をし、8年間アメリカで学び、帰国しました。アメリカ帰りで、ハイカラで身だしなみがよく、礼儀正しく堂々たる日本紳士として帰国をした。
帰国後、米山氏は、日本鉄道会社に就職しましたが、明治30年に三井銀行に入りました。英吾が堪能、演説上手、見栄えがよいということで、とんとん拍子に出世し、明治42年には三井銀行の常務取締役になりました。そして、55歳で三井信託銀行初代社長となりました。
米山氏は、その10年後65歳のときに、財団法人三井報恩会の理事長に就任し、社会奉仕事業に貢献しました。
米山氏は、「新隠居論」を世に出し、その中で、「一旦名を挙げた男子はすべからく後進に道を譲り、以後は社会の奉仕事業に貢献すべしとの心情を綴っています。
米山氏はこれを実践しました。その事業の一端を紹介しますと、医療、福祉関係では、ハンセン病、がん、結核、特にベルギーから100万円でラジウムを購入し、医療機関に寄付しています。教育奉仕では、学校そしてアメリカでお世話になったことからメソジスト教会とは格別の関係にあり、青山学院への協力、その他立教大学への研究棟寄贈などがあります。
ロータリーとの関わりについてお話しします。
日本人最初のロータリアンは、福島喜三次氏であり、同氏は、政府特派財政経済使節団の一員としてアメリカを訪れた米山梅吉氏と知り合いました。米山氏が47歳のときです。そして、福島氏は、帰国後、米山氏と共に東京RCを設立し、米山氏が会長、幹事が福島氏でスタートしたことは前にお話したとおりです。米山氏が52歳のときです。
その後、米山氏が58歳のときに、アジアではじめてRIの理事に就任しました。
その後、米山氏が60歳のときに第70地区の初代ガバナーに就任しました。
日本で最初のガバナー通信を発行したのも米山氏です。
米山氏は、その後も、活躍されましたが戦争に翻弄され、78歳で亡くなられました。
来週の会長の時間は、米山記念奨学会についてお話しします。


 2017年 10月13日 第1983回

「米山記念奨学会について」

山本圭一郎様来週は入会式です。よろしくお願いします。
田川幸子様、お帰りなさい。また一緒にロータリー活動を楽しみましょう。
2640地区の地区大会は11月4日、5日と和歌山市において開かれます。
多くの会員の皆様のご参加よろしくお願いします。
11月4日には、選挙人会議が開かれます。選挙人会議の主要な議題は、
(1)2016−2017年度の会計決算の件、
(2)2020−20121年度ガバナー選出方法、
(3)2019年度規定審議会に提出する立法案提案の件です。
今日の会長の時間は、米山記念奨学会についてお話しします。先週は、米山梅吉氏についてお話をさせていただきましたが、1952年、東京RCが、米山梅吉氏の偉業を記念して、米山奨学基金を計画したのが始まりです。
1953年、会員から1口1000円以上、法人から1口1万円以上をもって目標額260万円を募りました。
奨学生第1号は、タイのラタナチャッタ君で、1954年10月に来日し、東京大学の農学部で養蚕を学びました.同じ東大で水産学を学んでいたインドの学生や東京水産大学のインドの学生が、学資が途絶えて帰国せざるを得ない状況でありましたが、米山奨学金が支給され学業を続けることが出来ました。
その後、米山奨学基金は、全国に広がり、1968年には米山記念奨学会の設立となり、そして、1967年には、財団法人・ロータリー米山記念奨学会となり、民間奨学制度では国内最大規模を誇っています。
2014年7月現在で、これまで支援した奨学生数は18,104人で、年間700から750人です。
この奨学制度は他の同じ制度と異なる点は、奨学生の一人一人に地域のRCが世話クラブとなり、世話クラブ会員の中から「カウンセラー」が選ばれて、奨学生の日常の相談役となります。
これまでロータリアンになった学友は約230名で、出身国別では、台湾、韓国、そして中国となっています。

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