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  会長の時間 4月
 
2017年〜2018年度
岸和田東ロータリークラブ会長
池 内 清 一 郎

 2018年 4月20日  第2006回

「ロータリーの身体障害児救済活動」

4月15日の野外例会は、雨のため清掃活動は中止となり、例会だけになりましたが、ご参加いただいた会員の皆さんご苦労様でした。
今月は、「母子の健康月間」です。ポリオ・プラスの活動については前にお話をさせていただきましたので、今日は、ロータリーが社会事業として身体障害児対策を最初に行ったことについてお話しします。
ロータリーが身体障害児の対策を行った最初のクラブは、ニューヨーク州のシラキュースRCで1913年のことです。1915年には多数のクラブが障害児対策に立ち上がり、1917年には、オハイオ州のエリリアRCが提唱した「全米障害児協会」が設立され、それを通じて多くのクラブが支援活動を行いました。
1916年にニューヨーク州だけで2万7000人がポリオに感染し、9000人が死亡するという大流行が発生したのです。
1910年代に何年にもわたって繰り返し大流行に見舞われていました。
このようなことから、多くのクラブが支援活動を行ったのです。
当時は、まだワクチンは開発されていませんから、現在のポリオ・プラス活動とは質的に異なりますが、人工呼吸器や下肢の装具提供などポリオ対策活動が芽生えていました。


 2018年 4月27日 第2007回

「ロータリーの友4月号の記事について」

猪野様ご入会おめでとうございます。
共にロータリーライフを楽しみましょう。
5月12日にロータリーの友を読む会が開かれます。このときにお話をしようと思っていたのですが、今月は、「母子の健康月間」ですので、今日お話をさせていただきます。ロータリーの友4月号の「ダウン症の娘と共に生きて」という記事です。
書道家金澤泰子さんが42歳のときの初めての子どもさんが翔子さんです。しかし、生まれて52日目に翔子さんがダウン症であることを告げられました。ダウン症とは、通常46本ある染色体が1本多く生まれる染色体異常の一種で、どんな時代、人種、性別にも変わらず800人から1000人に1人の割合で生まれると言われています。
翔子さんは、10歳のときに般若心経を書き上げたのですが、それまで翔子さんは、「やめて」とか「もうやりたくない」とかは言わず、黙って泣きながら書いたそうです。そのときの般若心経には涙の跡が、化石のように残っており、「涙の般若心経」と言われているようです。
その後、翔子さんは障害学級のある遠い学校に通うようになり、電車に乗ることを覚え、足も強くなったようです。その姿を見て、お母さんは、「私と翔子は苦しんできた。翔子もダウン症で生まれて苦しかったと思っていた」けれども、翔子はダウン症であることを苦しんでいなしし、嘆いてもない。苦しかったのは私なのだ。間違っていたと思ったそうです。そして、翔子さんは、いろいろな賞を受賞し、学生日本一になりました。
2015年のダウン症の日と決められている3月21日、翔子さんは、国連本部でスピーチをしました。
翔子さんのお母さんは、翔子さんの病気を告知された日の日記には、「今日、私は世界で一番悲しい母親だろう。」と書いたそうですが、30年たって、翔子さんがスピーチをしている姿を見て、「翔子、お母さまは今、世界一、幸せだよ」と言えたそうです。
お母さんは、闇の中に光がある。生きてさえいれば絶望はないと本当に思うと結ばれています。

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