岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
2016〜2017年度RIテーマ
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〜会長の時間12月〜
 2016年 12月 2日  第1946回

12月2日〜6日は小雪の末候である「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)」です。橘の実が黄色く色づく頃です。橘とは、古代日本では柑橘類の総称で、文献に見られる様々な「橘」は、いろいろなみかん類を合わせてこう呼んでいたと考えられます。ただし、京都御所紫宸殿前の「右近の橘」は、日本原産の柑橘類とされるヤマトタチバナ種で、文化勲章はこの花をかたどっています。橘の名は、「立ち花」に由来するとも、橘になぞらえる「非時香木実(時じくの香の木の実)(ときじくのかくのこのみ)」をもたらした伝説で知られる田道間守(たじまもり)の名によるともいわれます。
ヤマトタチバナは日本では固有のカンキツ類で、実より花や常緑の葉が注目されました。マツなどと同様、常緑が「永遠」を喩えるということで喜ばれました。
古事記、日本書紀には、垂仁天皇が田道間守(たじまもり)を常世の国に遣わして「非時香菓(ときじくのかぐのこのみ)・非時香木実(時じくの香の木の実)」と呼ばれる不老不死の力を持った(永遠の命をもたらす)霊薬を持ち帰らせたという話が記されています。古事記の本文では非時香菓を「是今橘也」(これ今の橘なり)とする由来から京都御所紫宸殿では「右近橘、左近桜」として橘が植えられています。ただし、実際に『古事記』に登場するものが橘そのものであるかについてはわかっていません。
さて、今月は「疾病予防と治療月間」です。私は医者ですので、この問題については本職です。また、現在看護学校で「感染と予防」を教えていますので、いまだに世界で問題になっている感染症についても専門と言ってもいいかもしれません。この分野のお話をすると、いくら時間があっても足りませんが、その中から、いくつか選んでお話しさせていただきます。
先ず、一般人でも対策が可能な分野のお話です。この表は「全世界で人間を殺した数が多い生物ランキング」です。さて、どんな生き物が人間を殺していると思いますか。
なんと「蚊」が一番人間を殺しているんですね。蚊といえば、ちょっと前に「デング熱」でも有名になりました。でも、一番問題なのが、「マラリア」ですね。
(1)蚊を増やさない!
○空き缶やペットボル、ビンなどを放置しない
○庭の散水用に雨をためている場合、定期的(1週間1回)に水抜きする
○植木鉢の水受け皿にがたまったままなっていませんか
○雨どいや側溝が詰まって水がたまっていませんか
○ビニールシト(ブルーシート)のたるみに水がたまっていませんか
○古タイヤの中に水がたまっていせんか
○注水タイプの旗立てや物干し用ベースフタがとれたままになっていせんか
○お墓の花立てに水がたまったままになっていませんか
○蚊の潜み場所になるヤブや草むらがあれば、雑草や樹木は定期的に刈り取り、剪定をする

(2)蚊に刺されない!

○網戸の破れを修理したり、扉・窓の開閉時間を短くしたりする
○東南アジアやアフリカでは蚊帳を使う
○肌の露出を減らす
 長そで、長ズボン、靴下を着用する
 素足にサンダル履きは避ける
○虫よけ剤 (ディート)
○蚊取り線香


 2016年 12月9日 第1947回

12月7日からは「大雪(たいせつ)」です。山々は雪に覆われ、本格的
な冬の到来が目に見えてわかる時節です。
12月7日〜10日は「大雪(たいせつ)」の初候である「閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)」です。重く垂れ込めた雲に天地の気が塞がれ、生き物も動きをひそめている、そんな深閑とした冬日の様子を表す言葉です。「塞」という字には、「砦(とりで)」の意味もありますし、村や集落の入り口にあって外部から入ろうとする邪悪なものをはねつけたり、旅人の安全を守る道祖神の別名は「塞の神(さえのかみ)」といいます。厳しい冬将軍から人々を守ってくれる心強い存在についてイメージするのも一興かもしれません。
12月11日〜15日は「大雪(たいせつ)」の次候である「熊蟄穴(くまあなにこもる)」です。熊が冬眠のために穴に入る時期。熊の冬眠は比較的浅い眠りで、この間に子を産んで、春には一緒に穴から出てきます。人々も熊と同様に、この時期は戸外での活動がめっきり少なくなり、家の中で過ごす時間が多くなることでしょう。こうした時期には気分もふさぎ込みがちですが、むしろ暖かい屋内にあってこその楽しみを、積極的に見いだしたいものです。
12月16日〜20日は「大雪(たいせつ)」の末候である「?魚群(さけのうおむらがる)」です。冬を迎えると、海で育った鮭が、産卵のため一気に川を遡上します。北国の冬の風物詩ともいえる鮭の里帰りの光景は、古来、神秘的なものととらえられてきました。
たとえば、山形県、岩手県の各地では、秋の終り,多くは旧暦11月15日や12月20日の夜、「オオスケ」という鮭の王が眷属をつれて「オオスケコスケ、今のぼる」といいながらやってくる。この声を聞くと三日のうちに命を失うといって人々は戸外に出ずにつつしむ。この日が過ぎると川に鮭の群れがさかのぼってくると伝承されたそうです。
12月21日は「冬至」です。一年でいちばん昼が短く、夜の長いときです。そしてこれを境に、少しずつ日脚が伸び、春の訪れを待ちわびる人々の気持ちも高鳴ります。かぼちゃを食べ、柚子湯に入る日でもあります。中国や日本では、冬至は太陽の力が一番弱まった日であり、この日を境に再び力が甦ってくることから、陰が極まり再び陽にかえる日という意の「一陽来復(いちようらいふく)」といって、冬至を境に運が向いてくるとしています。つまり、みんなが上昇運に転じる日なのです!
12月21日〜25日は冬至の初候である「乃東生(なつかれくさしょうず)」です。花の形が矢を入れる容れ物「靫(うつぼ)」に似るところから名づけられた植物「靫草(うつぼぐさ)」は、夏になると花が枯れ黒くなるため、「なつかれくさ」と称されます。また、夏枯草(かごそう)、乃東(だいとう)と呼ばれることもあります。夏から冬にかけていったんその力を弱めた大陽が、冬至の日を境に少しずつ再生していく様と、あらゆる草木が枯れ果てていくこの季節に、この草だけが芽を吹き始める姿が、寒さの中に春への希望をもたらす共通のイメージをかもし出します。
花穂は夏枯草(カゴソウ)といい日本薬局方にある生薬です。主に中国、韓国で生産されています。この生薬には利尿、消炎作用があり、腫物、浮腫、腎臓炎、膀胱炎などに用いられます。また、止血作用と治癒促進作用があるとされ、外傷薬として古くから利用されてきました。
12月26日〜30日は冬至の次候である「麋角解(さわしかのつのおつる)」です。「麋」とは大型のシカの一種で、一般にヘラジカ、またはオオジカのことといわれます。雄の特徴のひとつに、枝分かれした巨大な角があります。角は春に生え始め、冬のこの時期に脱落します。ところでこのヘラジカ、北米ではムース、エルクなどと呼ばれ、ユーラシア大陸では北部の針葉樹林に広く棲むとされます。日本では自然には見られないもののようですが、七十二候の言葉は、もともと中国で生まれたものも多く、江戸時代の日本人は異国の極寒の風情を想像して楽しんだのかもしれません。
さて、「疾病予防と治療月間」のお話です。今日も大事なお話をいくつか選んでさせていただきます。
結核は昔の病気だと思われているかもしれません。でも、大阪では今でも猛威をふるっている病気です。
HIVの現状も知ってほしいと思っています。全世界では、知識の向上、薬の開発により増加数は抑えられてきていますが、日本では依然増え続けています。2015 年世界の状況1820万人が抗HIV治療を受けている。3670万人がHIVとともに生きている。210万人が新たにHIVに感染した。110万人がエイズに関連する原因により死亡した。7800万人が感染流行始まって以来HIVに感染した。3500万人が感染流行始まって以来エイズに関連する原因により死亡した。

 2016年 12月17日 第1948回

今日はクリスマス家族例会です。
さて、クリスマスといえばサンタクロースですが、日本最初のサンタクロースを知っていますでしょうか。明治7年(1874年)東京の築地にあった女学校でクリスマス祭が行われました。ここに登場したのが、日本最初のサンタクロースであったとされています。ただし、このサンタクロースは裃を着用、大小の刀を差し、鬘をかぶった純日本風のサンタクロースだったそうです。
このクリスマス会を催したのが「原 胤昭(はら たねあき)」という人物です。彼の経歴は大変面白いので、ここに紹介したいと思います。
まず、山田風太朗の「明治十手架」の主人公です。もちろん小説は虚実ないまぜですが、実在の人物です。嘉永6年( 1853年)に江戸に生まれ、江戸南町奉行所の与力になりました。明治維新の後、東京府の職員になりますが、明治5年(1872年)に職員減員のため免職しました。明治7年(1874年)に洗礼を受け、この時、感謝の催しとしてクリスマス祭を開いたのです。
書籍販売業を営んでいた胤昭は、明治16年(1883年)に自由党員を応援する内容の錦絵を売り出したため、自身も禁錮刑を受けることになりました。送られた石川島監獄というのは、かつて見回り方を務めていた石川島人足寄場が改まったものでした。
逆の立場の囚人生活を経験した胤昭は、監獄の改良や出獄者の保護が必要であると実感し、出獄後には教戒師になりました。また、明治31年(1898年)に出獄人保護所を創立、一万三千人の出獄人を保護しました。また、日本で初めて本格的に児童虐待の問題に取り組み、明治42年( 1909年)に児童虐待防止協会( 1990年に設立された同名の団体とは別物)を設立しました。家庭内の虐待と児童労働による酷使の双方の解決に尽力したそうです。
つまり、日本最初のサンタクロースは受刑者の再犯を防ぐための活動の先駆けとなった人物であり、虐待を受けている子供たちのサンタクロースになった人物でした。