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『 トピック 』 |
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第1回 大阪地区女性会員の集い
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5月9日(金曜日)午後5時より、リーガロイヤルホテル堺にて、第一回大阪地区女性会員の集いが、開催されました。当クラブからは、会長、幹事、坂東会員、平瀬会員、私の5名で出席させていただきました。おいしいお食事と、素敵な音楽、楽しい時間を過ごさせていただきました。
来年は、地区で一番女性会員の多い当クラブが、ホストクラブを勤めさせていただきます。女性会員の増強に結びつくことを、願います。
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(プロフィール)
1964年 大阪生まれ
1993年 京都府立医科大学医学部卒業
同 年 京都府立医科大学眼科レジデント
1994年 多根記念眼科病院勤務(大阪)
1996年 愛生会山科病院勤務(京都)
1997年 山田眼科病院勤務(熊本)
1998年 聖マリア病院眼科(福岡)、海谷眼科勤務(静岡)
2002年 ベトナム国立眼科研究所網膜硝子体手術指導医
2004年 同研究所客員教授
日本眼科学会専門医、日本眼科手術学会、日本糖尿病眼学会、日本網膜硝子体学会各会員
(活動概略)
高校2年生の時、父親を胃がんで亡くしたことが医者を志す転機となった。それまでは文科系志望。京都府立医科大卒業後、外科を志望していたが眼科の木下教授に出会い、その人柄に惚れて眼科の道に進む。京都、大阪、熊本、福岡、静岡の民間病院で研鑽を積み、網膜硝子体手術の分野、特に内視鏡を用いた硝子体手術では世界のトップレベル技術を持つ。
2001年10月、母校の京都府立医科大学で開催された「臨床眼科学会」でベトナム人医師と出会い、患者の治療と眼科医の指導を懇願され、2002年4月、ベトナムに渡る。以来、治療した患者は6000人を数え、医療スタッフの教育や意識改革は進んでいるものの、器材不足は否めず、自腹を切って器具を買い揃える。月給はわずかに1万円相当のため、ベトナムでの生活費にもならないため、定期的に帰国してスポット勤務医として資金を工面する二重生活が続いている。
2004年7月、川口外務大臣がベトナム国立眼科病院を視察した際、ベトナムとの懇談会の席上で、その献身的な活動に対して謝意を表しその功績を称えた。
2005年5月、町村外務大臣よりベトナムの医療技術の向上のみならず、日本とベトナムの草の根レベルでの相互理解、友好関係の促進の功績を称えられ感謝状を贈呈される。
2007年3月、ベトナム政府よりベトナム国民の健康福祉に大いに貢献したとして、「人民保健記念章」の叙勲を受ける。
現在、ベトナムの「赤ひげ先生」として、また「患者は肉親」を座右の銘に、ベトナムの貧しい人々に対して情熱を燃やす熱血医師として孤軍奮闘の日々を送る。
将来の抱負はベトナムに教育機関を備えた病院を建設し、日本から技術移転を行うとともに、ベトナム以外のラオス・カンボジアなどの周辺各国からも医師を受け入れ、そこから育った医師が世界で活躍する日々が来るのを夢見ている。最近発刊された著書に「はっちゃんベトナムに行く」がある。
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