岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
2007〜2008年度RIテーマ
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第1529回例会 11月30日(金)

 『ハイキング同好会報告』 平 瀬 有 里 会員

  

 11月25日(日)第1回ハイキング同好会が、絶好のお天気に恵まれて会員、ご家族総勢28名の参加で無事に実施できました。ご協力に感謝致します。


 『私のホームステイ』 坂 本 道 子 会員

 1995年夏、ヒースロー空港第3ターミナルに到着した私は計り知れない気持ちに浸った。ロン・パリ8日間等とは訳が違う。退役軍人のピーター&エリザベスの家では大歓迎されたものの、さすが食におかまいなしのイギリスでの暮らしは私の胃袋をキュッと縮める日々となった。しかし4週間コース 1995年夏、ヒースロー空港第3ターミナルに到着した私は計り知れない気持ちに浸った。ロン・パリ8日間等とは訳が違う。退役軍人のピーター&エリザベスの家では大歓迎されたものの、さすが食におかまいなしのイギリスでの暮らしは私の胃袋をキュッと縮める日々となった。しかし4週間コースの入学テストでは、満足を得た。英語圏外の100人を越す若者たちと2時間にもおよぶクラス分けテストにチャレンジ。あの頃は私もまんざらではなく平気で真っ向から試験に挑むことが出来た。その結果、12クラス中トップクラスに在籍することとなった。
 国が出来たばかりのガザフ(スタン)のベイブット、サウジ(アラビア)のシャーリーやアシュレー、フランス人のソフィ、トルコからのハイラティーンと名前を書きたてれば20人ぐらいの国際色豊かな友達が出来た。授業も10時半を過ぎるとあちこちから賑やかな話し声が飛び交い、コーヒーブレイク!みんなもと貴族の館であったスクールの園庭に降り立ち真夏の太陽を浴びながら寝そべったり、お国自慢の始まりです。私のホームステイ先から学校までは木イチゴが鈴なりの垣根道を歩いて毎日5分の道のりでした。朝は、10枚切りぐらいの薄く小さい食パン2切れ、そして手作りの木イチゴジャム、4 入りの牛乳パックから瓶に入れ替えられた牛乳をマグカップに2杯。バナナか酸っぱいリンゴ、そしてボイル卵1ヶの朝食をいただいての登校でした。
 私のクラスメイトは9人。Teacherはイギリス人のヘレン。35歳位の女性で大の勉強家の彼女には毎日悩まされました。どのクラスも時間にはザワザワと給食に向っている様子が窺えるのに、うちのクラスはいつもビリ。3種類はあって選べる昼食も私のクラスは残り物の日々が続き大抵トリがドサッと鍋いっぱい残されている景色があり、これが私たちの昼食であった。しかし、トリの苦手な私はパンやヨーグルト、フルーツやコーヒーで充足する事が多く滞在中、ずっと空腹だった思い出があります。
 週末、金、土、日には探検や乗馬、カヌー、水泳、美術館巡りなどのDaytripが山積み。その週の初めに各案内掲示板にサインをしておけばどのコースにでも参加でき、内容は豊かであった。しかし、どの掲示物も全て英語表示なので単語1つで理解した事もありました。カザフの若者ベイブとは特に気が合い、どのコースへも一緒に参加し、バスの席も隣りあわせであったり、授業が終わるとバースの街までゴルフ場を感じる公園を通り抜けベンチでお茶したり、リスと遊んだり、暫し52歳という我が年齢を忘れてしまうほど楽しい日々を過ごしました。
 その頃の私は翌年春から4,5年の計画で長年の夢であった語学留学への出発を考えていたのです。だからこの短い夏の期間も少しではあるが、私なりの海外で暮らす自信に繋げてゆく大きなリハーサルとなりました。
 今の64歳という年からでは考えられませんが、当時は体力も意欲も気力も旺盛で、大勢の若者の中の一人として持前の行動力とガッツな学び、好奇心の3つ揃えで意義あるバースでのひと夏を過ごすことが出来たのです。
 バースは、ロンドンのパデイントン駅から(特急)インターシティに乗って(忘れましたが)1時間40分ぐらいの古い美しい街並みが保存されている静かな街です。駅の近くには橋の両サイドに店が並ぶロケーション最高のパルトニー橋があり、そのエイヴォン川の緑地では短い夏の太陽を浴びる人たちで賑わっています。
 駅をどんどん上に進むと紀元43年に古代ローマ
人が造ったと言われ、今もコンコンと沸く温泉の湯をたたえた大浴場跡があり、バース(お風呂)の地名の由来となったローマンバスがあります。その少し向こうには、貴族の館として建てられ今は一部がホテル、そしてアパートとして使われているロイヤルクレッセントがあり、周囲の緑とよく調和し、230年も昔に既に立派な都市計画があったことを窺い知る事が出来ます。

遠足でボーマスへ(海あそびに)
ベイブとサウジの友達と


 ご紹介の通り、こんなステキなバースでのホームステイであれば誰しもみんな行きたい!と思われるでしょうね、私がお世話になった家は閑静な高台にあり、ご夫婦と犬が1匹。2階には3つの寝室があり、トイレ、バスルームが夫々2つ。私の部屋は果てしなく延びる裏庭に面し、20mを越すホースチェストナッツの木々で遊ぶリスや鳥が観察出来、とてもお気に入りでした。そんな1日中見ていても飽きないガーデンには小さな菜園があり、夕暮れになるとインゲンをちぎったり、じゃがいもを収穫したりと、肉類、乳製品以外はほとんど自給自足の質素な暮らしは10代の初め頃の私が育った味わった環境そのものでした。家のスペースも広くはありませんが必要外は買わない質実剛健な生き方をされているのか、家中全部案内していただき見せてもらいましたが、誠に完璧とても言いましょうか、衣類もクローゼットに収納されているだけ。とにかく私の目に飛び込んだ物で全てと言う整理された暮らし振りには感心いたしました。最高にいい物を少し。それを大切に管理し生涯に亘り着用する。それが英国人の誇りである事を教えられ、物が氾濫し流行に追いつ追われつの私たち日本人の今日に問いかけられた気がしました。
 次にSchool excursionでは4週間で12日もの楽しいtripに参加した。それはイギリスを代表する観光地ばかりで神秘的な石群が林立するストーン・ヘンジ、美しい砂浜の海水浴場ボーマス、ブリストルやロンドンへはバスや電車を乗り継いで戦勝記念日(?)の式典を見学したり、また遠出をして2泊3日の湖水地方、ウインダミアへの小旅行にも出かけ、保育園のこども達が大好きなピーター・ラビットの故郷の地も踏んで、物語の出来たベアトリクス・ポターの絵本の世界に遊ぶことが出来た。
 52歳の私が体験したホームステイはその後の私の生き方にとてもいい変化をもたらしてくれた。それまでの私は保育社会というとても狭い範囲でのみ生きてきた世間知らずで、その道の友人が大半であった。しかし、今では皆様方のお仲間に入れていただき、一人のロータリアンとして生ている。バースでの短い生活の中で得た語学以外の生活の工夫や一人の若者として生きた感動の日々、そして世界を駆けて話す事が出来る友が出来たことが、今も私をリフレッシュし続けている。


 投稿 『米山奨学生の
      社会貢献活動紹介』
河 合 利 晴 会員

−活躍するヨウ・ブン・リンさん−

 本年度の米山奨学生のボランティア活動は関心のない奨学生に社会貢献活動への取り組みを提案しました。
 わがクラブを世話クラブとする。マレーシャ出身のヨウ・ブン・リン嬢は二人の米山奨学生の兄をもつ積極的な性格で、地区が呼びかけた高校への貢献活動に参加しました。和泉高校の行った永年の友好校からの訪問団の通訳を4人で編成した通訳チームで買って出て日中両国の交流行事を成功に導いた原動力となりました。