岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
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第1523回例会 10月12日(金)

 『 ガバナー補佐訪問 』 第6組ガバナー補佐 貴 多 野 泰 夫 様

 皆さんこんにちは。ガバナー補佐の貴多野泰夫です。私の所属する岸和田南RCは岸和田東RCを親クラブとして発足し創立9年になります。クラブから初めてのガバナー補佐に就任し、大変勉強させていただいています。本日の岸和田東RCで5つ目の訪問となり、来月の岸和田RCで今回は最後となります。10月26日にガバナー公式訪問があり同伴いたします。ガバナー補佐は1クラブにつき3度の訪問となっており、年度末にもう一度訪問致しますがよろしくお願いします。
 貴クラブは私どもの親クラブということで良く見えるのかもしれませんが、率直にいってRCらしいクラブだと思います。わきあいあいとして、威厳があります。 このあとクラブ協議会が開催されますが、どうぞよろしくお願い申し上げます。


 『多民族国家で暮らすマレーシアの華僑』  米山奨学生
 ヨウ・ブン・リン 様

 1. 多民族の由来
 マレーシアでは、東マレーシアに住む先住民の他マレー系、中国系、インド系などの人たちが暮らしている。マレー系は元々インドネシアのスマトラ島の王子がマレーシアにやってきて、マラッカ王朝を築き今となってはマレーシアの原住民とも呼ばれている。中国系は中国から出稼ぎのためマレーシアにやってきた華僑たちのことである。インド系はマレーシアがイギリスの植民地だった頃にやってきたインド人のことである。
 現在マレーシア総人口、約2700万人のうち、先住民を除きマレー系は人口の約6割で、中国系は約3割弱、インド系は1割である。

2. マレーシア華僑
 マレーシアは、マラッカ王朝を経てポルトガル、オランダ、イギリス、日本の植民地になっていた。植民地時代に天然資源を開発するのに労働力が必要となったためイギリスやオランダが中国を中心に大量の労働者をマレーシアに「輸入」した。当時の中国は大革命で国全体が貧困状態に陥り、海を渡り出稼ぎをする中国人がマレーシア華僑の歴史の始まりであった。
 華僑の特徴は自分固有の文化や伝統を守り続け、常に集団生活や行動をするので、外来の文化にはなかなか馴染めないところがある。更に、マレーシアでは宗教や文化に関する束縛はあまりないため今日の華僑でも中国語が話せ中国の文化を守り続けている。しかし、その中でも現地の人と結婚し現地と中国の文化を混ぜ合わせ特有な文化を生み出した。彼らのことを「ババ」「ニョニャ」と呼ぶ。

3. 昔と現在

● 教育と言葉

 初代の華僑たちは、貧困のため出稼ぎで来たので教育を受けたことは殆んどなかった。そして、彼らはこの国には残らないつもりでやってきたため、自分たちの子供には中国語さえ話せたらいいと言う思いが強かった。しかし、イギリス植民地だった頃は英語教育が強制的に行われていたため、華僑の子供たち(華人)も中国語でなく英語教育を受けることになった。そのため、現在五、六十代の華僑たちのなかで中国語(華語)が話せない人が多かった。とは言え、華僑たちは教育に無関心ではない。その一方、定住を決めた華僑たちは、次の世代に自分たちの文化を残そうという強い思いで華僑の間に強い絆ができ、お金を募りながら学校を創り、政府に頼らず子供を教育し続けた。
 1957年の独立にあたっては、華人コミュニティの抗議も実らず、マレー語が公用語と定められた。英語は10年の期限付きで第二公用語とされ、華語とタミル語は補助言語と規定された。1971年の憲法改正では、市民権、国語としてのマレー語、マレー人の特殊な地位などが「敏感問題」と位置づけられ、これに関する論議が禁止された。1973年には、公用語はマレー語(Bahasa Malaysia)に限定され、第二公用語が廃止された。以後、「国語」の使用を徹底させる方針のもと、華語は外国語と同様の扱いを受け、法的に使用を制限されることになった。
 初等教育は、マレー語の国民学校と、英語、華語、タミル語のいずれかが使われる国民型学校があり、華人の子供の8割が後者に通っている。しかし、中等教育はマレー語の国民中学(公立)と、英語とマレー語の国民型中学(私立)となっており、華語が役に立たない仕組みになっている。後者では、保護者15人以上の要請があれば華語、タミル語の授業が行えるとされているが、無視されることも少なくない。華語の中学校もあるが、大学入学資格のない各種学校としての扱いをされている。したがって、華人の子供の9割がマレー語の中学校で学んでいるのが現状である。

● 経済(華僑圏
)
 20世紀から21世紀の今日は華人経済圏が世界中に渡って各国に影響を与えていると言われている。マレーシアの華人たちも同じくマレーシアの経済に持続的な貢献をしてきたといわれ、ここ二、三年、経済急成長しているマレーシアでは華人の経済貢献度が全国の7割も占めているという調査結果が出された。
植民地時代の華僑は苦力(クーリー)や労働者として働いてきた。天然資源が豊富なマレーシアでは多くの華僑は錫や鉱、木材そしてプランテーションを営んでいる。もちろん中小企業のほかにも専門的な職に就く若い華人が増えている。特に医者や弁護士などが多かった。

● 5.13事件

 1963年、マラヤ連邦にシンガポール、サバ、サラワクを加えてマレーシア連邦が発足したが、2年後にマレー人と華人の対立からシンガポールが脱退した。その後も民族対立は続き、1969年、クアラルンプールでマレー人と華人が衝突、数百人ともいわれる死者を出した。(5.13事件)暴動の背景には、華人との経済的な格差が改善しないことへのマレー人のいらだちがあったとされる。事件後、非常事態宣言のもとで、マレーシアの経済発展と国家の安定をマレー人の主導下で行うとする「プミプトラ政策」が打ち出された。

● 文化

 華僑は集団意識が高いため、外来の文化をめったに取り上げられない。それに、中国に対する帰属意識を持ち続けられているため、伝統的な文化の殆んどが維持できている状態である。しかし、若い華人たちは当地で生まれ育ち、中国よりもマレーシアや外国の文化に触れることが多く伝統文化が失われつつあるという心配な声が上がっている。華僑特有の文化が失われないように年配の華僑たちが伝統行事の復興に必死だが、若い華人たちはそれについて行こうとする姿勢は全く見えない。

4. 他民族国家で暮らす華僑の未来

 マレーシアの経済を握っている華人たちは、いろんな不平等な待遇や厳しい政策に耐えてきたが、これからの政策を変えない限り長い期間抑圧された華人たちは再び5.13事件を起こしてもおかしくないと予想されている。明るい将来が見込まれないことを恐れ、次々と海外へと移住する華人も少なくない。
 複数のアイデンティティを持つ華僑たちはこの地に愛着があっても様々な差別が後を絶たないため葛藤に苦しむときも多い。だからといって、現地の人たちを恨むことは決してない。何世代にもわたって築き上げた現地の人たちとの深い絆を簡単に破り捨てることなく、お互いに助け合いながらこれからももっと公平な社会を作ることが華人たちに明るい未来を導いていく唯一の道だと思われる。