川植康史副会長
サムライブルーの活躍がまだ記憶に新しいこの頃です。サムライという言葉、すなわち武士のことです。今日の会長の時間は、武士道について少し考えたいと思います。少し話はそれますが、日本には、宗教がなくて文化的に低いという外国の方がおられます。日本には、信仰に対して寛容であり宗教にために戦争をするような愚かな行為は、応仁の乱からは、おこしていないわけです。山の神、風の神という、偶像を超えた自然を敬い、私はすごく高い精神性だと思います。
日本人の行動に関しては、やはり武士道という精神的な支柱があると思います。葉隠は、江戸中期の将軍吉宗の時代、享保元年(1716年)ごろに、2人の佐賀藩士によって生み出され、完成したとされている書物であります。
葉隠においてもっとも有名な一文は、「武士道といふは、死ぬ事と見つけたり」だと思います。この言葉は、死を美化・奨励しているのではないかと誤解する人もいるかもしれないが、決してそのようなことはないと思います。
解説書の中に、自分の利害に関係なく、身を処す覚悟を持つこと。そして、大袈裟かもしれませんが死に身になる心構えを持って生きることで、生に真摯に向き合い、無事に社会に奉公し続けることができるのだと説明されています。
その中で滅我という単語がありました。私は、それがロータリーが掲げる超我の奉仕の超我に、そして利他の概念につながると思います。
騎士道でいう、ノブレス・オブリージュ(仏: noblesse oblige フランス語: [nɔblɛs ɔbliʒ])とは、日本語で「位高ければ徳高きを要す」を意味し、一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うという考えと、共通なものと思います。
私は、何もできておりませんが、武士道をあらためてきちんと読みたいと思っております。また、機会があれば皆さんと勉強したいと思っております。
森本ガバナーより、山元芳裕会員に会長セミナー修了証が届きました。