上林史和 会長
皆さんこんにちは。
入会予定者の九鬼一博様ようこそおこしいただきました。本日含め2回のゲスト出席ののちご入会となりますのでよろしくお願いします。
友好クラブであります郡山アーバンロータリークラブと「友好クラブ締結証書」を交わしました。2002年に友好クラブとなりまして18年目でとなります。今回の延長締結は2023年9月までの3年間です。
10月20日に100周年を迎えられる日本初のロータリークラブであります「東京ロータリークラブ」さんの歴史、その2です。
前回は渡米された米山梅吉さんが中心となり1920年10月に「東京ロータリークラブ」を設立されたものの、軍事政権下では「ロータリーの存在は大日本帝国に対する反逆である」と極言され、設立から20年後の1940年9月に解散に至ったお話をさせていただきました。
その後、東京RCの会員の皆さんは、組織解散後も会合を続け、2カ月後の1940年11月、新しい組織として「水曜クラブ」を設立されました。設立総会には、かつての会員190名が参加。従来通り奉仕の精神で臨むこととなったが、国際ロータリーとの関係は断たれてました。
(ちなみに大阪クラブさんは金曜会という組織を立ち上げられたそうです)
1941年12月、日本は太平洋戦争に突入。そのため物資の統制は強化され週報用紙の入手すら困難になり、会員の誕生祝いにはケーキに代わり水飴を贈ることになったがそれすらやがてできなくなってしまう。さらに1945年5月には、会場の帝国ホテルが罹災したため例会は中断。場所を日本工業倶楽部に移して再開、出席者はそれぞれ弁当持参。戦時中の奉仕活動は主に傷病兵や留守家族の慰問、孤児の救済にそそがれました。
1945年8月15日戦争は終結。水曜クラブは細々と例会を重ねていたが、誰からともなく東京RCの再建と国際ロータリーへの復帰の希望が語られるようになりました。
1946年1月、東京水曜クラブはGHQのバラード大佐に託して書簡を国際ロータリー事務総長に送り、復帰への強い希望を伝えた。5月になって返答を得たが「今は確答できない、希望は記録にとどめる」とのことであった。
さらに3年後、1949年RI会長の命を受けて事務総長ミーンズがGHQ顧問のダーギンと日本にロータリーを再建するため、会談を開始、再出発の道を歩むことになり、1949年3月23日、水曜クラブを解散し、東京ロータリークラブを再結成することになりました。
東京RCのチャーター伝達式には、名誉会員となったマッカーサー元帥からステートメントが寄せられ、吉田茂首相も出席して祝辞が述べられた。
戦後の日本で、国際団体への復帰、加入が許されたのは、宗教関係団体をのぞけばロータリークラブが最初であるそうです。
東京に次いで京都、大阪、神戸、名古屋、静岡、札幌が決まり、この7クラブをもって新たに第60区を形成することになりました。
東京RCの創設者・米山梅吉氏は、すでに1946年4月、日本のロータリー復帰をみることなく、郷里の沼津でご逝去されていました。
このように戦中、戦後の混乱期も奉仕の灯をともし続けるべく大変な努力をされてきた諸先輩方のおかげで今の我々があります。現在はコロナ禍という違った形での混乱期ではありますが、先人たちに学び、100年の歴史を誇る日本のロータリークラブをこれからも次世代につなげていきたいと思います。