山本新一郎会長
“胃瘻バッシング”から“メディアの責任”について考える
「胃瘻」というのは、1980年代にアメリカで開発された方法ですが、口から食事が十分にとりにくい人に対して、おなかのあたりに穴をあけて直接胃に栄養剤などを入れる方法です。これを用いれば、わずかにおなかに穴が開いているだけで、口からの摂取は一切取なくても十分な栄養が取れます。栄養剤を入れないときはキャップをするだけで入浴することもできます。これまで身体を拘束して口からチューブを入れるなど大変なストレスをかけて栄養摂取を行っていた患者さんについては、そのようなわずらわしさから解放されることから、我が国では今から20年ほど前に医療介護の現場で急速に普及しました。特に、これまで食事にかなりの時間や精力をかけて対応してきた医療機関や施設などのスタッフにとっては、この胃瘻の導入によってずいぶんと合理化できる画期的な方法でした。けれどもこの便利さゆえに、何とか口からの摂取が可能な人についても、本人よりも介護者サイドの意向が強く働き、安易に胃瘻の導入に踏み切ってしまうケースが出てきました。このことが問題となり、今から7~8年前になりますが“胃瘻バッシング”と言われるような社会問題にまで発展しました。“胃瘻”というだけで拒否されるような状況も発生して、中には鼻からのチューブに戻す動きも生まれてきました。これは、全くナンセンスな話です。
読売新聞に「医療ルネサンス」という連載記事がありますが、この胃瘻の特集記事をこれまでに3回組まれたことがあります。1回目は、まだ“胃瘻”という言葉も一般には浸透していなかったころで、当然“胃瘻バッシング”などという言葉もありませんでした。ここでの記事は、徹底して“胃瘻”を攻撃しています。「うちのおばあちゃんは入院していて、胃瘻をしていたけれども、少しでも口から食事をとらせてあげたいので退院した。しばらくして亡くなったけれども後悔はしていません。」といった内容で案に胃瘻をすることによって人間性が損なわれている、と言っています。2回目は、ちょうど“胃瘻バッシング”が社会問題になっているとき、ここでは「アメリカの胃瘻事情」というタイトルで、「日本では胃瘻が一般的になっていますが、医療先進国(?)であるアメリカではほとんど胃瘻をする人はいません。」と、こちらでも強烈に胃瘻を否定する内容です。3回目は、少しバッシングも落ち着き、それなりに胃瘻のメリットが再認識されてきた頃です。私が驚いたのは、ここでの論調は「世間では胃瘻を否定する動きもあるが、使い方が問題で胃瘻自体は便利なツールです」というような内容で、これまで率先してバッシングしてきた自らの論調を横に置いて、これまでの厳しい胃瘻に対する論調が全く他人事のような扱いになっていることです。
私は、“胃瘻バッシング”というのは、このようなメディアの対応が大きく影響を及ぼしていると思います。これまで率先して胃瘻を批判してきた責任はどう考えているのでしょうか・・・?特に「読売新聞が悪い」と言いたいわけではありません。考えてみれば、メディアというのはいずれも常にこのような対応をしてきているように思います。メディアによる“世論誘導”とか、“プロパガンダ”というのは実に無責任に行なわれ、しかも我々の知らないうちに社会の意見になってしまっている、という恐ろしさを感じます。