命とは
およそ宗教と名の付くものに生死について語らないものはありません。人は生まれついてこの方、「死とは」という大命題(一生をかけて考えてゆく定めのような問題)を抱えております。この生死という大きな問題に常に付随して来るのが、「命」という、これまた不可思議な言葉であります。
生や死を医学的に捉えた場合は、心臓の停止や脳の活動の停止をもって人の死といたす様でありますが、宗教上、又は仏教において命はどう捉えられているのでしょうか。ここでは大乗仏教を中心に考えたいと思いますが、仏教においては生死観、輪廻と転生について語られることが多く、浄土と地獄の考え方も付随してまいります。何れにせよ人の命、又は生命は生と死により限定はされているのだが、その前と後があると設定されていることであります。
つまり生まれる前と、死んでから後のことを含めて命を考えるわけであります。しかしながら、仏陀となられた釈尊は人間の死の後については語られたことが無かった。又は答えることをなさらなかったのです。何故なら生と死は無明無知の作り出した概念で、そんなものに囚われてはならない、と説かれています。では何故、死後のことや生前のことが仏教において浄土や地獄といったもので表現されるのでありましょうか。それは仏教成立以前のインド土着の考え方が大きな影響を持ちます。輪廻や浄土や地獄も人の作り出した観念に過ぎないからで、仏陀(覚者)はそれにすぐ囚われること無く、悟りをひらくこと、正しく物を見つめることを重要視するのです。
この「正しく」とは何かと申しますと、科学的な説明や証明ではなく、哲学的な自然観や論考による「生き方」或いは「命のつなぎ方」を心で観て、心で論じて心からの音を口にすることであるわけです。でありますから、釈尊は弟子たちに色々な事柄を深く観て、感じて、大きな智恵(生き方)を得なさいとおっしゃるわけです。そうすることにより、生・老・病・死の苦しみに悩まされることは無くなり、楽になれると説かれます。
病で体が痛くてしょうがない、足が痛い、腰が痛い、しかし「痛い」ものには実態が無い。自分の痛みでは無いことに気が付けとおっしゃるわけです。蝋燭の火は光を放つが、それは芯とロウが出会い、火を他から付ける条件が整っただけで、火は条件が揃えば光となるが、一つでも欠ければ光を生じない。薬を飲むのも方法の一つだろうが、本質は、その痛みは自分の物では無いと気づくことをせよと言われる。肉体の痛みだけで心の痛みとなり、身体全体を壊してしまうことは無くなるとおっしゃられる。膝や腰が痛いのは肉体の痛みで、心の痛みにしてはならないわけです。意識がその部分を無くせれば痛みは感じられないわけです。
例えば、好きなことをしておれば、痛みを忘れることが多いのも、この例でしょうね。しかし、もっと大きな痛みはどうでしょうか。いや、それすらも日々の修行により脱するとおっしゃるのです。人の意識や感覚は人の心が作り上げたもので、その観念自体は実態が無く、始めも終わりもないのです。無知(なぜ)や無明(どうして)の虜になると、物の始め(そもそも)や終わり(どうなる)のことばかり気になり、果てしない生と死の循環(輪廻)に陥ってしまい、出てこられなくなってしまう。生や死は人が作り出した観念に過ぎなくて、命には始めも終わりも無く、それを超えたものであることを心に留めなくてはいけないわけです。
大日経
では、私たちは日頃、どういった場面でこのことに出会うのでしょうか。草や木や鳥や魚や海や山、水や空気、月や星、果ては原子や電子、中性子やクォーク(最小の粒子)にいたるまで、互いに関連い合い、連絡を取り合って命として続いておるわけです。それが宇宙に偏在し、遍満していますが、それがある時、疎になったり密になったりします。平たく言えば、より合ったり、離れたりするわけです。それにより宇宙は出来上がってきたと言われていますが、そうやって物質が出来上がり、星が誕生して地球が生まれ、私たちがいるようですが、その繋がりはずっと続き、人の出会いや別れ、生まれることや死んでゆくことに繋がっているわけです。しかし、そのもとに流れているものは少しも変わることなく、増すこともなく、減ることもないと説かれているのが、大日経であります。
真言密教では大日如来を全宇宙の心理と智恵として捉えます。行者はその教えと智恵に少しでも近づこうと修行します。発心して大日如来の説法を聞こうとする者は、修行の段階に応じて自分のためだけでは無く(自利)、他者の願いを聞き入れる(利他)行をします。それを表したのが曼荼羅といわれるものであります。明王は菩薩に、菩薩は如来になることを請願、如来自身も更なる高みを目指します。その中にも、命はずっと続き受け継がれるわけであります。
今、世界の天文学者や物理学者が懸命に宇宙の始まりや、その行末を観測したり考えたりしています。しかし、そのことは既に大日経の中に多く書かれた哲学や教えに見られている様に思われます。今更ながらに、密教と科学の真理追究の姿勢の同一不二を感じます。
日本人の宗教観
日本人の多くは公の場で宗教について聞かれると、「私は特に信仰している宗教は無い」と、答えるようです。NHKの調べでは約70%の方が、「無宗教」と、答える。しかし、質問の方法にもよるのですが、「宗教は大切だ」と、考えている人も60%から70%もいる。これは何を示しているかと言うと、特定の団体に属さないが、宗教性というものは生きるために重要なものであると考えているということであります。
宗教的行事に参加する人は総計すると二億人を超えているといわれます。例えばお伊勢参りや各地の御開帳などです。初詣だけを捉えてみると、三ヶ日で九千万人を超えています。一億二千万人中で、この数はメッカの巡礼やローマ法王の祝日を遙かに超えています。これもやはり、ある枠組み(組織・体制)の中に統合されないで自由にチョイスしたいということと、宗教性を帯びた行事がたくさんあるので、それで満足してしまうといったことも起こってきているのかもしれません。つまり、かつては重要な宗教行事であったものが、歴史の流れや社会の変化で信仰の本来性が気化(蒸発)してしまって、残った外部の殻だけが残っていることも多々あります。
又、本来は宗教であることに気づかず、日々の暮らしの中に平然と取り入れられていることもあります。例えば占い、ジンクスやバレンタイン・節分・クリスマス・結婚式・葬式、色々な安全を願うロゴ(交通安全等々)、それとは気づくことなく、私たちは宗教性の強い事柄を受け入れています。
日本人は無宗教どころか、大の宗教好きなのです。なのに何故「無宗教」と言い張るのでしょうか。それは自然観によるものが大きいと考えられます。海や山が身近にあり、四季の移り変わりが激しく、季節風や雨が次々にやってきて、災害や地震や台風、大雨が日々、通り過ぎゆく中で、人間の弱さや小ささを感ずることが多く、生死観もその中に委ねられたものであることを知ることが多いことがあげられます。その中で、八百位以上もの神を自然神として生み出し、「拠り所」を設けて、人と神もそこに集まり、祭りをすることを始め、日々の生活の中でのスイッチのONとOFFを使い分け、「祟り」を恐れ、神をなだめて生活する。又は「聖」と「俗」を使い分け、「利他」と「自利」を宗教の中に生かすことをやってきました。又、時代が進むと宗教や宗派そのものを使い分けて、自分自身は信条や思想をあえて表明しないことに巧みになってきました。
神と仏とは
神とは何か?と、問われて直ぐ答えの出る方は少ないでしょう。私は大学で哲学的捉え方として「人間以外の絶対者」と教えられました。つまり、人間が考え出す事柄や、作り出す事柄、計画することから思うことでも全てを超えた絶対的な存在であるといえます。
人の智慧や知識・経験・希望、恐れや怒り、そうしたものを全て覆いつくし、強大な力で或いは遠くに、或いは近くに寄り添うものであるとされるようです。ですから、「人は神になれない」筈であります。
時々、例外として人も神格化されるときもあります。特に日本においては、そうしたことがありますが、日本の神は自然崇拝の中から八百以上の神が生まれましたので、山や大木や岩、動物なども神格化されることは、そんなに珍しいことではありません。おまけに人間的な感情(妬む・恨む・怒る・喜ぶ)を持ち、生活のすぐ近くに、その存在を示す拠り所(神所・神処)があり神社が成立します。そこに鎮まる形で安定し、人々の安泰を守ることが多いのですが、時々の荒ぶりを鎮めるために祭りを人間が行い、宗教行事となるわけです。
こうした神はギリシャやインド、東アジア一帯にたくさんおられます。その中から人間と神の間の契約により出現するのが、ユダヤ教とキリスト教でヨーロッパ世界を確立してゆく上で、重要なアイテム「契約」のシステムが出来上がるわけです。神との契約が人間同士の約束(互いに傷つけない・助け合う・相手を認め合う等々)が、ヨーロッパ社会の道徳の基盤となり、近代を作り上げ、国という概念まで作り上げたのです。
一方、仏は神とは異なって、人間も仏になれる、いや、それを目指さなくてはならないと説きます。それは神の存在とは別のルートで自己の中の慈悲心や向上心を磨き、覚者(悟りを得るもの)近づきたい、成仏したいと思う世界を作り上げているわけです。そこには、「○○したから○○してあげる」ではなく「○○すれば成仏出来るからやりなさい」という、かなり自立的なことが多く見られます。
生死観でもキリスト教世界では「神に召される」であり、仏教世界では「成仏する」わけです。それを我が国ではスムーズに神と仏を結びつけました。仏が日本に伝わるときは、神の力や姿を借り受けました。そのため、人々は違和感が少なく、理解が出来て流入が出来たのです。勿論、政治的争いの種になったことも事実ですが、習俗的な習慣や政(マツリゴト)の中に仏教の哲学や教義、儒教の教義が多く導入されて、これまた、巧みに習合して現在に至っているわけです。
私たちは神と仏をうまく使い分ける術を千数百年の間に身に付けて、生活の中に取り入れてきたわけであります。これが良いことであるか、悪いことであるかは言えませんし、それが私たちに複雑で、多様性にあふれて、しかも整然とした文化を研ぎ澄ましてきたのです。こうした文化は世界の他所では、そう見ることは出来ません。
私はよく日本列島はアジア圏のアメリカ大陸だと言います。アジア各地の人々が自国の文化をもちより、新しいアジアの文化が結果的に出来上がった国とも言えるかもしれません。