第2032回例会報告[2018年11月9日(金)]

会長の時間

辻林一郎 会長

増田憲治様、本日は入会式です。おめでとうございます。この後よろしくお願いいたします。

 

本日の報告としまして、「ガバナー月信11月号」をプリントアウトし、配布させていただきました。「ロータリーの友」同様に通読、精読をお願いいたします。

 

さて、今日は、「ロータリアンのマナー」について少しお話をさせていただきます。

ロータリー章典(7.020.1.)にクラブ例会における礼儀作法という項目があります。

ロータリアンがそれぞれ両親、配偶者、あるいは子供を伴っている場合、そうしたロータリアンの前での話や奇を衒う冗談および余興は適正でも適切でもなく、また適切性を欠いたりその場にそぐわないロータリアンの集りも実施すべきではない。そうしたロータリアン家族の前でのそのような冗談や話が適切に行われることがないならば、個々のロータリアンによる話や冗談をいつも披露したりするのは適切でない。(1998年6月理事会会合、決定348号)

 

日本でのロータリアンのマナーを列挙します。

① 約束の時間を守り、期日を守る。

② 服装は、気遣いをする方と同等程度の服装を基準とし、他の方に不快の念を与えぬように心がける。

③ ロータリーの会合には、「信頼の証」であるロータリーの襟章を付ける。

④ 各種出欠の返事やアンケートの回答などには迅速に応える。

⑤ 例会では私語を慎み、できる限り最後まで在席する。

⑥ ロータリーの飲食は、手弁当が原則である。

⑦ どこで会ってもロータリアン同志会釈し、親睦に努める。

⑧ やむなくマナーに反したときは「ニコニコ」をする。

 

ここで、伊丹RC深川純一氏の「純ちゃんのコーナー(ロータリー3分間情報)」から、「ロータリアンのマナーについて」の一部分を紹介させていただきます。

「ロータリアンの基本的なマナーの一つに『約束を守る』ということがあります。昔、昭和6年の日本の2代目ガバナー井坂孝さんが、日本全国を管轄する国際ロータリー第70地区ガバナーに就任するに当たり、ガバナー月信第1号において、ロータリアンが遵守すべき3カ条を宣言しました。その第1条がロータリアンたる者は約束を守るべし、というのであります。・・・

この約束を守るということの中には、当然時間を守るということが含まれているのであります。時間は万人の共有物でありまして、時間に遅れるということは、相手に迷惑をかけることになりますから、遅刻は、ロータリアンとして最大の恥なのであります。

このために、ロータリーでは、昔から時間を守るということを喧しく言うのであります。遅刻することが予め判っている場合には、遅れることを相手に伝えておくべきであり、更に、例えば、会議に1時間も遅れるようなときには、むしろ欠席すべきであります。・・・」

「昔、西宮ロータリークラブの八場啓さんが当クラブにメークアップに来られて1分遅刻された時、『1分遅れたから今日はメークアップにしないで下さい。しかし、折角来たのだから皆さんと楽しく食事をして帰ります』と言って、ビジターフィーを払って、最後まで例会を楽しんで帰られたことがありました。」

 

マナーとは、守ることでお互いが気持ちよく過ごすための心遣いと思いやりと考えれば、いいのではないでしょうか。

卓話

「遥かなる空海その2~帰国後~」

亀 井 亮 雄 会員

亀 井 亮 雄 会員

唐で第7祖の恵果から密教を伝授され、日本に帰って来たのは大同元年(806年)、2年と数ヶ月ぶりに九州で祖国の地を踏んだ。

直ちに都には入らず大宰府に留まり「御請来目録」を出した。これをうけた帝は、最澄をはるかに凌駕する密教を持ち帰った空海に驚いた。

「都に住ましめよ」と勅が下り、空海は上京する。そこでいきなり大抜擢され、朝廷から東大寺の別当を命じられる。その後高尾山寺での国歌鎮護の祈祷、最澄との出会いから彼を灌頂に登らせた。この時点で師と弟子となり、最澄と言うエリートを追い抜いた。その後、弘仁7年(816年)最澄とは袂をわかつ事になる。

この年嵯峨天皇に「国家の為、諸修業者の為、深き山を切り拓いて一院を建立したい。ついては、彼の地を下賜いただけないか」と上奏文を差し出した。彼の地とは高野山の事である。天皇はやはり彼には甘く、すぐに了解してくれた。気前よく国地をもらいうけた空海は泰範ら弟子達を露払いにさせ、自らも実地検分の為、高野山に登った。空海は次の夏迄滞在し、造成建築の構想をねった。山ひとつをもって密教世界を表現しようとする壮大な計画である。

天皇の信認はますます強く、822年には東寺を下賜された。天長9年(832年)高野山で初めての法要となる万燈万華会を行なう事が出来た。この地を下賜され建立に着手してから16年目に念願がかなった。空海は請われ、東弄西走した。

あまたの寺を助けた。しかし「山に入りたい」と言う気持が抑えがたくなり、ついに「自ら終焉の志ありて、金剛峯寺に隠居す」と言って、ここで生涯を終えるが、1200年後の今でも高野山では日々欠かす事なく始祖に給仕している。それは今でも空海が、この場所に身を留め禅定しているからなのだと言う。

トピック

入会式 増田憲治会員

職業分類:制服販売

推薦者:田川幸子会員、辻林一郎会員