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『 Arthur Binard (1967年アメリカミシガン州生まれ) と
Ben Sharhn (1898年リトアニア生まれ 1969年没) 』
夏 原 晃 子 会員 |
アーサー ビナードという日本在住の詩人の自身の生後二年目に死没したベンシャーンという画家との出会いを考えると、アメリカの文化の糸はあちこち絡まりながら繋がっていることに感心します。
ベンシャーン著佐藤明訳(1960年美術出版社刊行\650)邦題「ある絵の伝記」(THE SHAPE OF CONTENT)は先生におねだりして大学卒業祝いに頂いた本ですが、今回読み返して私がその後の自身の生き方考え方に多大の影響を受けていたと痛感しました。
先週のエッセイで取り上げた「ひとのあかし」(若松丈太郎詩アーサー ビナード訳
清流出版)と共に是非手にして欲しいもう一冊「ここが家だ ベンシャーンの第五福竜丸」(絵ベンシャーン
構成 文アーサー ビナード 2006刊行集英社)を紹介させて頂きます。ベンシャーンは移民として7才で家族とアメリカに渡り、リトグラフの石版工の技術を身につけ終生筆で描く時も石に刻む線で描くと言った。<サッコとヴァンゼッティ事件><トムムーニー事件>等差別を問題にした連作画で脚光を浴び、その後も挿絵や雑誌の表紙ポスター、レコードジャケットなどグラフィックの分野でも活躍しアメリカ屈指の人気画家となっても、人間を直視し社会の語り部となって発表し続けました。最後の連作画<Lucky
Dragon Series>は1954年ビキニ環礁での水爆実験に遭遇した日本のまぐろ漁船第五福竜丸の23人の生き証人としての体験を久保山愛吉無線長を主人公として描いたが「わたしたちみんなを描く」ことでありそれはその後の世界的な原水爆禁止の動きの発端となった。日本でもアメリカでも見ようと思えば見ることの出来る<Lucky
Dragon Series>は日本語で書いた詩集「釣り上げては」2001年に中原中也賞を受けた詩人がその思いを受け止め一冊の絵本になりました。これに匹敵するのは日本の画家<丸木位里 原爆の図>と<ピカソのゲルニカ>ではないでしょうか。
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