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『 春木川橋づくし・手鞠唄 』 坂 東 桂 子 会員 |
今日は皆様に地元の作曲家を紹介したいと思います。私の所属するコーラスグループらんらんの指導者豊田光雄さんです。素敵なうたを300曲も作っておられます。
6月24日・日曜日に第2回作曲集記念コンサートを「まどかホール」で行います。大阪といわず全国からいろんな方が岸和田に来て下さることになっています。又岸和田市政80周年記念で市民劇団公演の音楽も担当の予定です。
それでは1曲目をお聞きいただきます。この歌は今から25年前、春木川が黒く悪臭を放って海にそそいでいたころ、1987年に岸和田文化連絡協議会が主催で開かれました『コンサートと写真展「甦れ春木川」』の時に作られました。
「我が街を貫く川」 作詞・作曲 豊田光雄
山から街へ 街から海へ
我が街を貫く 川よ 川よ
山から街へ 街から海へ
わが街を貫く 川よ 川よ
黒い空を かすかに映して
冷たいコンクリートに囲まれ
笑っているのか 泣いているのか
満々と水をはらみ 流れゆく
山から街へ 街から海へ
我が街を貫く 川よ 川よ
魚と戯れ こらと遊んだ
何万年もの昔から
笑っているのか 泣いているのか
満々と水を はらみ流れゆく
山から街へ 街から海へ
我が街を貫く 川よ 川よ
いかがでしたか。
今もそうですが、いろいろな人が、いろんな方面で岸和田を良い町にしようと努力してくれています。この取り組みがさらに発展して1995年には市民公募による『ミュージカル「甦れ春木川・キララとポポロの冒険」が「まどかホール」で上演されました。キララとポポロという少年と少女が、神於山から川を下る旅で、汚れた川にびっくりするお話です。大成功でした。その時に最後のフィナーレで歌われた歌を聞いて頂きます。私もフィナーレを歌いました。
「私の街を流れる川」 作詞 佐伯 洋・作曲 豊田光雄
私の町を流れる川よ その名は春木 春木川
はるか遠くの昔から 人の暮らしに寄り添い流れた
あー よみがえれ 美しい水の流れに
今 よみがえれ 春木川
私の町を流れる川よ その名は春木 春木川
はるか遠くの夜空から 届く光を映して かがやけ
あー よみがえれ 美しい水の流れに
今 よみがえれ 春木川
私の町を流れる川よ その名は春木 春木川
はるか遠くの昔から 人の思い出うつして流れた
あー よみがえれ 美しい水の流れに
今 よみがえれ 春木川
この翌年に「河川環境を考える会」・「春木川を良くする市民の会」が発足しました。先程から聞いて頂いています歌は、同じ96年に発行されたCDブックスによるものです。これには春木川にちなんだ 伝説、歴史、春木川の酸素飽和度を測量した科学調査報告書、写真映像、が掲載されています。
『春木川橋づくし・手鞠唄』作詞 藤田保平・作曲 豊田光雄
1)テンテン テンテンテン トントン トトトン トン
ハハ 春木川 テンテンテンテン 手鞠唄 はしづくし
一番初めは臨海の 新春木橋
ちょと上がって 紀州街道 永守橋
川に はすかい 新加守橋 昔船橋 今六連橋よ
2)テンテン テンテンテン トントン トトトン トン
ハ春木橋 テンテンテンテン 加守橋 上加守橋
病院の裏下大宮に 兵主橋 ちっちゃいドンド 中央公園 大宮橋
西之内はずれの八木橋 額橋 二国手前の橋は 森池橋よ
3)テンテン テンテンテン トントン トトトン トン
ナナ長さより テンテンテンテン幅広い 名無し橋 泣いてわかれた
菖蒲川 下轟橋 線路をくぐって 小栗海道 上轟橋
これより改名 平寿橋 久米田の池見て眺めて 陽大橋よ
4)テンテン テンテンテン トントン トトトン トン
ヘヘ平安橋 テンテンテンテン 尾生橋 尾生光明橋
ややこし ややこし似た名前 中尾生下橋
包近 流木 水道道にゃ中尾生橋 福田下橋
武エ門橋と 福田バス停には 砂原橋よ
5)テンテン テンテンテン トントン トトトン トン
東西橋 テンテンテンテン 名も変わり 轟橋
ぐるっと回って一回り 和田小谷橋
福田の出はずれ 緑の丘には 福田西橋
みかんの山々福田中橋 ドンド超えたら
ドンド 山海橋よ
6)テンテン テンテンテンテテン トントンットト
ハハ春木川 テンテンテンテン 手鞠唄 橋づくし
どんどんどんずまりの 突きあたり
留塚橋よ オシマイ
ところで春木川の源流は神於山で、神於山には当クラブの名前がついている植林地があります。当クラブ30周年記念の植林地です。意賀神社の方から登って10分程歩きますと少し広いところがあり、西周りコースの案内指標があります。そこから左へ下りますとちょうど丸太が渡してあり川を渡ると登りです。少し行くと小屋があり、コースの分岐点のところに岸和田東RC植林地の指標がたっています。
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