岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
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第1709回例会 10月 7日(金)

『 トピック

10月度 会員誕生日


加藤寿昭/西野公朗/辻林一郎 各会員

『 私の留学先の日本について 』 米山奨学生 ピョピョウェー様

 皆さん、こんにちは!!米山奨学生のピョピョウェーと申します。ピョという意味は豊かなという意味です。ニックネームはポポと申します。その方が呼びやすいと思います。ミャンマー出身です。現在、大阪観光大学、観光学部、観光学科、トラベル経営コースを勉強しております。今年は4回生です。私は今年の4月から米山記念奨学生として選ばれてとても光栄です。現在は関西国際空港ロータリークラブに所属し大変お世話になっております。
 現在、日本は色々な災害を受けている中私たち、留学生に支援するロータリアンの皆様の奉仕の心をとても感謝しております。ロータリーを通して日本への感情を私の家族はもちろん、ミャンマーの人々にお伝えしたいです。ロータリアン、皆様と出会うほんの短い間に私は自分の出来る力でミャンマーの文化と習慣、人々の心、生活などを伝えながら交流の橋を築きたいと思っております。
 ロータリアンの皆様のお陰さまで、厳しい日本での生活面に助かるだけでなく、自分自身でとても体験ができない、人物交流、文化交流ができ、様々な知識を得る事ができて私にとって、貴重な体験となっております。毎月の例会をはじめロータリーのいろんな活動を通じて、社会奉仕の素晴らしさを体験し、個人の社会意識が高まりました。ロータリアン皆様の奉仕の心を感謝しながら、米山奨学生らしく有意義な学生生活を過ごせようと思っております。本日私がこちらで立って挨拶できていることも皆様のお陰さまです。私以外にも米山奨学生として選ばれている外国人の学生たちも私と同じ気持だと思います。この場を借りて皆様にお礼を深く申し上げたいです。誠にありがとうございました。
 続いて日本との出会いをお話したいです。
 私は中学生の時、歴史学で学んだ世界初の原子爆弾の投下を通して日本という国を初めて知りました。原子爆弾により広島の市街地は一瞬にして破壊され、多くの生命が奪われました。核兵器が使われることから人類は滅び、そこに勝者も敗者もなく、加害者も被害者もなく、無があるだけだということを学びました。核兵器がある以上、世界に平和はないこと、人類と核兵器は共存できないこと、核は決して信用されてはならないことを現在の福島を見れば分かります。戦争とはその時を「破滅の時代」であることが中学生の私の心を焼き付けたようでした。戦争の恐怖におののいた私は人の痛みを自分の痛みとして考えられました。(去年、私は広島原爆ドームを見学しに行きました。市民が描いた原爆の絵、障害者達の写真、メッセージなど、戦争の悲劇を実際に目にした時はとても切なくて言葉がなくなりました。戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築き、心から永遠の平和な世界を祈りました。戦争や人種差別など人類が引き起こしてしまった過ちを二度と繰り返さないよう広島原爆ドームを後世に是非残してほしなあと思いました。)平和の尊さ、命の大事さなどが教えられました。私は広島から日本に対して深く関心を持ちました。戦争犠牲者の上に今の平和が築かれている日本を憧れてきたのは私一人ではありません。私は短い間に広島の復興を行った日本の強さに本当に驚きました。特に、日本人の負けず嫌いな性格、諦めない気持ち、優れた技術などにものすごく憧れてきました。日本のドラマ、アニメーションなどをよく見るようになり(その中で私は日本の物語が一番好きです。)日本のマスメディアを通して日本の文化、習慣、風景、日本人の礼儀正しさ(特に他の国の映画と比べると、日本の映画には礼儀がよく見えます)それぞれを自分なりに勉強し、機会があれば、本物の日本を自分の目で確かめ、日本の風景を肌で感じてみたかったです。私は高校卒業後、母国の外国語大学に入り、日本語を専攻しました。日本語は文字と発音がミャンマー語と全く違っているのに、語順が似ています。そこが一番魅力です。日本語は難しいですが、諦める気はありませんでした。たくさんの単語を覚えながら、苦手な漢字を克服できるように頑張りました。日本語を勉強すればするほど日本のことに深く興味を持つようになり、日本に留学したい気持がより強くなりました。それで私は両親から許可をもらい、生まれたところを後にし、日本に留学することにしました。日本はミャンマーと同じアジア圏であり、文化、習慣の共通点がいくつかもあるので留学先として安心して選びました。
 私は2006年4月に来日し、もう5年半年になりました。留学中は、親からの支えを受けずに自分一人で頑張ろうと思いました。勉強にはげみながら日本の社会を少しでもなればという思いでアルバイトをしました。せっかく日本に来てから、できるだけ多くの講義に出ました。学業とアルバイトの両立で多忙な毎日を送りました。いろいろなことが体験したいと思いつつ、余裕がないため、自分の思いがままならなかったです。遊ぶことなんか自分と関係がないようでした。その時一番寂しかったのは夜遅くアルバイトから帰ってきても「お帰りなさい」くらい挨拶してくれる人がいなく、嬉しいことでも辛いことでも伝えられなくて、部屋に自分一人で寂しくて、寂しくて何回も泣いたことがありました。今から顧みるととても子供ぽかったと思います。今は日本の習慣には徐々に慣れてきましたし、日本の食文化にもはまっちゃいましたが、刺身だけがまだまだ食べられないです。皆さんにもったいないといつも言われています。ミャンマーでは生モノを食べる習慣がないからです。日本に来た時は料理が作れないし、和食が食べられなくて困りました。国にいた時は何でも親に作ってもらいましたので、日本で初めて一人暮らしをした時、とても大変でした。日本に留学することは自分で決めたことだから、どんなに苦労してもあきらめず頑張ろうと自分で自分を励ましました。ミャンマーでは一人暮らしをする習慣はありませんし、例え、子供が大学を終えたとしても親と一緒に住むのが当然です。結婚しても親と一緒に住みながら、今まで自分を養ってくれた親に恩返しとして親の面倒を見てあげます。いつも親と相談し、親が決めたことなら何でも従います。例え、結婚の相手まで親が決めます。なので、ミャンマーでは親に対する意識がとても強くて、虐待とかも全然ないと言えます。ミャンマーは仏教国であり、人口の85%が仏教徒です。お釈迦様と同じレベール親を大事にします。私が日本に留学した時も両親からの許可と支えで無事留学ができたのです。親と離れてから親の気持をよく理解し、親からの愛情をより深く感じました。
 現在、私は大学でトラベル経営を勉強しております。観光に興味を持ったのは外国の観光客がミャンマーを訪れたvisit Myanmar year 1996がきっかけでした。ミャンマーにたくさんの観光客に来てもらいたい、ミャンマーの観光地を世界の人々に知ってもらいたい、母国の観光産業を発展させたいので、本学の大阪観光大学に入学しましたのです。本学では、母国の観光産業の発展のため、参考となる地方観光振興論、都市観光論、外客誘致論、外客受け入れ体制、国際観光振興について勉強しております。それらの観光を通して世界各国の観光地の事情、歴史と文化、地域振興から地方行政における新しい観光のあり方などが学べます。中でも、私は観光が地域社会に与えるインパクト、観光による文化変容といった観光と社会に関連する事情から社会学の見方を学び観光領域における観光の効果、余暇活動や観光行動、人々の交流によって引き起こされるプラス、マイナスの影響、文化の商品化について研究しております。
 観光は平和のパスポートであり、観光を通して母国と外国との平和友好の懸け橋となることに貢献できる観光大使のような働きを望んでおります。さらに、私はロータリアンの皆様と交流により身に付けた助け合いの精神を一生待ち続け、一期一会の心を込めて人の役に立ち、人に喜んでもらいながら、世界平和を築いていきたいです。(そのため、日本に留学しているうちに、自国の文化、習慣、良さなどを相手に伝えると同時に、留学先への感情を母国の人々に真実をお伝えします。)将来、身よりの無い子供達のため、児童保護を施設し、未来二つの国の平和、交流の使者になる子供に日本語をはじめ日本の文化、習慣、平和の良さを真実に伝えたいです。私一人の力が小さいものかもしれませんが、積極的に行動を起こしていきたいと思っております。
 母国の紹介をする前に和歌山のボランティアにつきまして少し申し上げたいです。最近、災害のニュースを見て、小さな助けでもできればいいなぁと思ったところ、和歌山のボランティアに誘われてとても嬉しかったです。参加の返事を早速し、予定なんか変更させていただきました。
 雪本先生、谷野先生、京谷先生、西村先生の指導を受けて私たち奨学生9人が参加しました。距離が長いところ、危険な山道、ハードな道路、真っ暗なトンネルを通過し、片道だけでも6,7時間かかった新宮市熊野川町へ行きました。被害地は思ったより暗くて、あり得ないほどでした。以前、自然豊かな町だったところが現在、戦争の終りがけみたいです。3年間分の雨の量が2日間で降り出し、町全体に洪水が発生しました。洪水により山崩れ、土砂崩れ、ダム壊れ、倒れた木と家々が数えきれないほどでした。被災地を目にしたときは心がとても痛みました。どうしたら早く復興するのか、いろいろな対策を考え、何回でも私の手を貸してあげたいです。
 私たちは浸水した家から荷物を出したり、乾いて舞い込んだ泥をはき出したり、床掃除をしたり、楽しく作業をしました。被災地のため、たくさんの雑巾を寄付しました。新宮ロータリークラブと田辺ロータリークラブの方々もご協力を賜りました。家の掃除のような作業でしたが達成感と満足感がありました。助けを必要とする人々にわずかな支えでもできたことが私にとって何よりも嬉しいことです。参加できてとても良かったと思いました。
 参加者の奨学生9人の中、3人ぐらいが車に酔って、その中の一人の女性は緊急点滴まで入れ射し、かなり大変でした。先生たちはどんな状況でも、どんなに疲れても私達に笑顔で優しく暖かく接してくださったことにとても感動しました。私たちの親のようでした。ロータリアンから奉仕の心を学んだだけでなく、愛情も注がれました。雪本先生、このボランティア2日間大変お世話になりました。どうもありがとうございました。日本は私たちにとって第2の故郷と言っても間違いありません。今回のボランティア活動を通してこれから社会貢献の活動なども増やそうと心に誓いました。
 これから母国の紹介につきまして写真をお見せしながら、簡単にスピーチをさせていただきます。
⇒ミャンマーは東アジアで最も西に位置する多民族国家です。北緯10度から28度に渡って、北東は中国、東はラオス、南東はタイ、西はバングラデシュ、北西はインドで、5つの国と国境が接しています。ミャンマーの文化にはこの隣国であるインド、中国、タイの影響が見えますが、当然ミャンマー独自に発達した文化も見えます。ミャンマーは7管区と7州があります。
⇒面積は日本の約1.8倍の大きさになりますが、人口は約5400万人で日本の約半分ほどです。
⇒資源として米、チーク材、ゴム、石油、宝石などを生産します。特にヒスイとルビーがよく取れます。
⇒国内には約135の小民族が存在し、それぞれの民族により、言語、文化、習慣などが違います。異なる文化と習慣のせめぎあいの中で発展してきた歴史を持っています。主な民族はカチン族、カヤー族、カイン族、チン族、モン族、ビルマ族(バマ族)、ラカイン族、シャン族です。
(こちらの首長い民族はタイの方からはタイの民族と言いますが、もともとはミャンマーの小民族です。)
⇒縦長い国土においては、北にカカボラジというミャンマーの最高峰があります。高さは5881mです。カカボラジというのは現地語で「賑やかな山」の意で、雪崩や落石が多い事からつけられたものです。なお日本人登山家、尾崎隆さんが1996年9月15日午後3時12分、初登頂に成功しました。
⇒東南アジアでは唯一雪を見ることができる国になっております。
⇒ミャンマーの植民地時代は19世紀に入ってからです。イギリスはビルマ王朝との3度戦争し、その結果1886年にミャンマー全国を植民地にすることに成功しました。1948年1月4日にイギリスよりビルマ連邦として独立しました。
⇒国名は1989年6年にビルマからミャンマーに変更しました。理由はビルマとするとビルマ族を意味する言葉と誤解されやすいため、国全体を意味するミャンマー語の言葉であるミャンマーを使用しました。国名を変更した際に首都名も変わりました。ラングーンからヤンゴン、それから2006年にはネピードに変わりました。
⇒軍人政権です。2010年にミャンマーで形だけの総選挙が行われました。2011年3月30日に軍事政権テイン・セイン首相が大統領に就任し、新政府が発足しました。最高決定機関であった国家平和発展評議会(SPDC)は解散し、権限が新政府に移譲された。これにより軍政に終止符が打たれた形だが、新政府は軍関係者が多数を占めており、実質的な軍政支配が続くということです。
⇒さらに、2010年10月21日に軍政権により国旗が変更されました。現行の国旗は上から黄色い国民の団結、緑は平和と豊かな自然環境、赤は勇気と決断力を象徴するそうです。この三色旗は日本が第二次世界大戦中に建国したビルマ国の国旗と同じだが、ビルマ国は国旗の中心に白星ではなく、コンバウン朝の印章だった緑の孔雀をデザインしていました。
⇒時差は2時間半で、日本が進んでいる方です。ミャンマーの気候は日本のようにはっきりした四季がなく、年間乾季と雨季に分かれています。日本のように4つではなく3つにわけられます。3〜5月までは暑期で、6〜10月までは雨季、それから11〜2月までは乾季となります。涼しい時期なのでミャンマーへ旅行するなら一番ふさわしいと思います。
11月から5月頃までは乾季で、それ以降は雨季となります。(一番暑い時期は3月から4月で、気温が40度以上になることもあります。ミャンマーのお正月は4月18日です。一番暑い時期なのでお正月に水祭りを行います。ミャンマーに観光しようとしたら、12月から2月までは一番いい時期だと思います。)
⇒公用語はミャンマー語です。ミャンマーの文字の形はまるっぽくて、インド系の文字の一種類です。基本文字は33文字ありますが、その中で同じ発音をさす文字が複数あります。その文字を組み合わせで文を作ります。日本語と語順が似ています。基本母音が12個あり、それを声記号が加えると24の母音になります。
宗教
⇒人口の85%は上座仏教が信仰されています。男性は子供の時と成人してから最低2回は仏門に入らなければならないとされています。ですから、ミャンマーで見かけるお坊さんは必ずしも本業ではなく、一般の人が短期的に1,2週間ぐらい出家します。ミャンマーでは仏教の教えが生活の至るところにまで影響を与えているのを感じます。その他、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教など少数ではあるが、存在しております。
●ここで、ミャンマーの有名な観光地などを紹介していきます。
ミャンマーでは一番有名なパゴダと言えます。シュユは金という意味で、ダゴンは昔のウヤンゴンの名前です。高さは100メートルもあり、頂上の風見鶏の先端には、76カラットのダイヤモンドがはめ込まれています。ほかにも、金のプレートが8688枚やダイヤモンドが5451個、ルビー1383個でミャンマー人の寄付によって集められているものです。2500年前からできたので、せっかくミャンマーに来るときは、必ず行って欲しい所です。


                                  担当:山口英之会員