岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
2007〜2008年度RIテーマ
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制作:資料管理・OA委員会
 

第1631回例会 1月29日(金)

『 トピック 』

 【 1月度 奨学金授与 】米山奨学生 パンアヌクーン・アヌパン 様

 もうすぐ私は奨学生ではなくなりますが、今までいただいた奨学金というより、皆様からいただいた可愛がってくれた気持ち、ロータリー精神というのも大変感謝します。
 これからもぜひ皆様と仲よくさせていただきたいと思います。



 【 新入会員紹介 】 竹本雅彦会員


 推薦者:谷川 泉・畑田率達・横田昌也 各会員

 竹本雅彦氏、近畿大学医学部卒、平成11年5月、岸和田市にて開業、岸和田市医師会に入会、平成16年4月岸和田市医師会理事、厚生福利、学術担当、趣味は釣り、ゴルフ。
 ロータリーにおいても頑張りに期待しています。

 本日、岸和田東ロータリークラブに入会させて頂きました。出身は和歌山市です。平成11年5月に先代(伊達正照院長)の後、東岸和田クリニックを継承しました。平成16年より岸和田医師会の理事をさせて頂いております。今回、推薦して頂いた谷川先生、畑田先生そして横田先生からお声をかけてもらい岸和田東ロータリークラブに入会させて頂くこととなりました。ロータリークラブについて何も知識はありませんが、諸先輩方のご指導の下、がんばっていきたいと思っています。よろしくお願いします。

『 ロータリーの歴史 』  谷 川  泉 会員


 昨年、ロータリー情報委員会より担当した3分情報に於いて、ロータリーの誕生及び日本のロータリーの誕生について特に当時の世界、日本の世相について簡単に話をさせて頂いた。
 これまで何回も聞き重複もしますが、1905年2月23日夜、鉱山技師ガスターバス・ローア、仕立屋ハイラム・ショーレ、弁護士ポール・ハリス、石炭商シルベスター・シールが落ち合った。
 そこでハリスはかねて繰り返していた「実業人も必ず心から友人になれる」という主張を熱心に説き「まず職の違う者が定期的に集ったら」と言った。一つの職業から1人なら競争もないというので皆、賛成した。
 クラブの名も初めは「ブースター」Boosterといわれていたが、会長や役員も1年ごとに回り持ちしていたところから「ロータリー」Rotaryと名付けられた。
 隔週1回の会合、新聞記事を読み合ったり、ラグルスが歌を歌うことを始めたりしていたが、会員も増して食事を共にということになると回り持ちも不便となり会合にはレストランが使われ、1905年6月第2木曜日にシャーマン・ハウスで開かれた。
 最初の定款ができたのは1906年1月である。
(1)会員の職業上の利益、(2)親交と社交のクラブに普通付帯する望ましい事柄の増進、その後(3)シカゴ市の最善の利益を振興し、会員間に市民としての誇りと忠誠の精神を鼓舞することが加えられる。
 ポール・ハリスは2年後に会長となり、クラブを常にはつらつと動かしていくために会員資格を1年ごとに切り、その成績で次の年の会員を決めることにしていたが、間もなく欠席を4回以上続けるか、半年間の出席率が60%に満たない時には会員資格が失われることにかえられた。
 1909年、オークランドのクラブが週1回規制正しい午餐会を初めて規約で決めた。
 1910年8月、全米ロータリークラブ連合会を開催、クラブの数は16、会員数1,085名、ポール・ハリスが会長、チェスリー・ペリーが最初の事務総長に選出される。ロータリーの綱領が明文化される(※I参照)。1910年末、ポール・ハリスは「合理的ロータリー主義」の論文を書き、タブロイド型の「The National Rotarian」を作製、1911年1月配布する。
※I) 1.クラブの新設
   2.全クラブ共通の利益の推進
   3.市民としての誇りと忠誠心の奨励
   4.高潔なビジネス方法の推進
   5.個人会員の事実上の利益の増大
 1951年、現在の綱領が成立する
 1912年9月、「The Rotarian」と改称し毎月発行して今まで続いている。
 1911年8月、アーサー・フレデリック・シェルドンの演説の一節から「He profits most who serves best」が生まれ、フランク・コリンズの言葉から「Service Not Self」後に「Service Above Self」と改められたものが出来た。非公式ながらよく知られたロータリーのモットーとなる。
 1912年、ポール・ハリスが正会員指導者を「退職」し、名誉会長となる。ロータリー・クラブ国際連合会と名称変更、歯車を模した最初のロータリー徽章が採択される。現在の徽章になったのは1929年、ダラスの大会の時である。
 1914年、公式のロータリーの旗を採用される。旗の白地は、国際主義の白であり、国際的な親睦、親善を示す白百合のバナーである。公式徽章が金と青で記されている。青は目的の不変性、金は永久的進歩の輪が回る純粋な基準を象徴している。
 1915年1月4日午前11時、カンサスシティーのボルチモア・ホテルの旗竿に旗を掲げた。また、この年度に非英語国における初のロータリー・クラブ、キューバのハバナ・ロータリー・クラブが結成される。
 1915年度サンフランシスコ国際大会に於いて11カ条の倫理訓「The Rotary Code of Ethics」が採択(別紙参照)
 1917−1918年度にオークランド・クラブは数千足の靴を戦争難民に送る、ニューヨークのロータリアンは復員してくる軍人や船員を対象とする就職案内所を設置した。
 1918年11月18日、第1次世界大戦は連合国側の勝利で終る。国際連合会の年次大会は歓喜のルツボとなり、モルモン教本部の大会堂を使用、楽隊をひきいて乗り込む参加会員、ホストクラブの会員は全員ブルーの上着と白ズボン、白靴で参加。ニューオリーンズのクラブはオーム色の上着と白ズボンで参加する。この年度に太平洋をこえてフィリピンマニラに、1919年中国上海、インドのカルカッタにロータリー・クラブができた。
 1920年10月に東京ロータリー・クラブが誕生、この年度のエジンバラ国際大会は米国外で開催された初の国際大会となる。そして、ロータリーの綱領の一つとして「国際平和及び親善」を採択1922年国際大会に於いて組織の名称が変更、「国際ロータリー」となる。すべての新クラブに対して標準クラブ定款が義務付けられる。
 1923年、セントルイス国際大会に於いて決議案34条が全クラブの社会奉仕の原則を成文化する。これは、社会奉仕の主体をクラブに置くか会員個々の活動にまかすかについて論争され、これらの対立がロータリー分裂の危機をはらむに至った。これは、まずロータリーの奉仕の哲学を説き、社会奉仕活動が個人に限られず団体としても望ましいと述べ、それを行う場合、その地域社会に何が求められているかを調整し、それをなすべき期間や施設があるか否かを確かめ、あればそれに協力し強化することで二重化を避け、なければ適当な企画を立て中途で挫折しないよう注意して行うべしというものである。
 以上、国際ロータリーの誕生から1926年までの歴史を抄出した。

ロータリー旗の余話

 1922年 ロータリアンであるリチャード・バード提督が南極へ
 1926年 またバード提督は北極でロータリー旗を翻した
 1932年 オーガスト・ピカード教授がチューリッヒ・ ロータリークラブの寄贈したロータリー旗を
      気球により高度18,526mまで上昇させた
 1933年 ミシガン州ヒューストン・ロータリークラブがクインシー鉱山の最下低地下 2,085mの
      会合に携えていった
 1968年12月21日 
      テキサス州ヒューストン宇宙センターのロータリアン、フランク・ポーマン宇宙飛行士が
     月周回飛行に持参。アポロ8号