岸和田東ロータリークラブ 国際ロータリークラブ第2640地区
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第1630回例会 1月22日(金)


『 RCとの出会いがきっかけで講談師になった?! 』

講談師・旭 堂 南 陽 様 (吉本淳一様)


  只今、講談師・旭堂南陽として活動させて頂いております吉本淳一です。
日本中探しても90名に満たない人数しか講談師がおりません。なぜ、そんな芸をしようと思ったかというと、ロータリークラブの皆様との出会いがあったからです。
 時は1992年、大阪府立長野高校時代にロータリークラブの皆様から交換留学にいきませんかとお誘い頂きました。
 当時は交換留学先も多く、アメリカ、フランス、ドイツ、ブラジル、スウェーデンなどが派遣先としてありました。
 当時は外国=アメリカという考え方しかなく、アメリカを候補として応募しましたが、あえなく落選。スウェーデンならOKということで、93年〜94年に行かせて頂きました。
 派遣先はスウェーデンのVarnamo、人口はわずか1万2000人。日本人は僕一人で色んな日本の質問を受けました。今でも覚えているのは「日本人にとって富士山とはどういう意味があるのですか?」「葛飾北斎はなぜあのような画風になったのか?」というものです。その時に何も答えることができず「日本人なのに日本の事を何も知らない自分」に出会いました。帰国後、大学に入り法学部に入学。3回生のときに、弁護士になろうと司法試験を受験。24歳まで受験しました。そんな時に出会ったのが「講談塾生募集」という新聞の3行広告。「講談」とは何かさっぱりわかりませんでしたが、日本の伝統芸能であろうというのは何となくわかりました。
早速、スウェーデン時代を思い出し、日本の事を勉強しようと講談塾に通い始めました。そこで習ったのが修羅場読み。これがカッコいい!!外国語にも負けない迫力とカッコよさ。それから2ヶ月講談を習いましたが、ある講談会の後で師匠から「講談師にならないか」と誘われました。「まだ弁護士を目指しているので」とお断りしましたが「弁護士も講談師も最後に“し”がついているから一緒や」と訳のわからない理由に説得され講談師になりました。その後は講談の国際化に尽くそうとスウェーデンの経験を生かしています。
 2004年にはGSEプログラムでブラジル・パラナ州に1ヶ月行かせて頂きました。講談のポルトガル語版を作ったのが講談の外国語化の初めです。それから講談の英語化、中国語化を行いました。
 これからもロータリークラブの皆様との出会いで頂いた経験・外国語のスキルを元に講談という日本の伝統芸能の楽しさ、面白さを日本中に、また世界に広めて参りたいと思っています。
 今後ともどうぞよろしくお願い致します。
 本日はどうもありがとうございました。
吉本淳一様
 吉本様は地区財団学友メンバーで、当地区から1993−94年でスウェーデン VARNAMO(ベーナム)RCに交換留学し、その後2004年にGSEでブラジル・バラナ州4660地区に行かれました。仕事は講談師で各種メディアでも活躍され、特に日本ではただ1人留学した経験を生かし、海外にて英語の講談なども行っています。性格も明るく、人柄のいい方です。ロータリーファミリーの一員ですので、皆様よろしくお願い致します。
担当:嶼 光子会員