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『 トピック 』 |
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ベネファクター 認証状 認証ピンの贈呈
亀井亮雄会員
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恒久基金寄付(ベネファクター) 坂東桂子副会長
年次寄付(200ドル)は3年後にすべて使われます。ロータリー財団が、好不況に関係なく、プログラムを維持できるように、1982年に、RIロータリー財団管理委員会は、世界理解と平和のためのロータリー財団基金を設立いたしました。
この基金への寄付は、投資され、その収益だけが財団プログラムの支援に使われます。1944年に、この基金は、ロータリー財団恒久基金と改称されました。年次寄付の認証がポール・ハリス・フェローであるのに対し、恒久基金寄付への認証はベネファクター(後援者)です。
ベネファクターとは、その資産計画に財団を含めるか、恒久基金に少なくとも米貨1,000ドルを寄付した人のことです。ベネファクターの認証には、そのための証書、ポール・ハリス・フェローのピンまたは他のロータリー・ピンと一緒に着けることのできる記章が含まれています。
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CLP準備委員会にて制作されました「岸和田東RC細則の全部を改正する細則(案)」をお配りしております。必ずご一読の上、不明点や疑問点がございましたら21日(金)の例会までにお申し出下さい。
新しい細則は、12月5日の年次総会でご承認をいただき、平成21年7月より適用される予定です。また、増強活動を引き続きよろしくお願い申し上げます。
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Senseを表現する時、私の脳裏にはいつも五輪真弓さんの"恋人よ"の風景が浮んできます。大好きな秋色をしている。静かで大人っぽく…。
センスのいい見立て、センスが溢れている、センスが悪い、など。センスと言うことばは非常によく使われ、今や日本語となっています。辞書には感覚、勘、思慮、分別、常識と、私の比較的好きなことばが羅列されています。
また、微妙な味わいを見分ける能力…と。これこそ私、そのものです。私も一人の女性。センスよく恰好よく生きたいと願っての人生。取り分け、年齢と共に服装のSenseがマッタク…と思える近年の私ですが、皆様の目からご覧になられて如何でしょうか?きっちりブサイク!だけですか?それともまだイケてますか?そんな私は近頃、生きる、そのもののセンスを大切にしています。私も今まで、仕事を続けながら結婚、育児、こどもの学業、社会と全てまあ、自分なりの満足度をもって今に至っておるのですが。
昔、祖母が私に言ったことば“オンナはオトコの5倍働かなあかん”それが出来なんだら仕事はしいな…と。40年前、そんな祖母の厳しいことばを頭の片隅に置きながらも仕事はきちんと続けてきました。朝から晩までのtime scheduleを組んで仕事も家事もPerfect。家では1日専業主婦をされている人並みの家事をする。中でも手抜きしなかったのが毎日の食生活です。子育ては荒業でした。お宮詣りの翌日から乳酸飲料を1サジ。生後3ヶ月目には離乳食もかなり進み、並はずれた健康体の我が子を育て、子育ての猛烈振りを発揮したのです。
その当時、私が仕えていた法人の第1保育園の園長先生は、今では2年、3年とびっくりする程長い育休を取得出来る社会になりましたが、8月24日に出産した私に9月1日からの復帰を命じてきたのです。出産前日まで普通勤務であった元気な私なので、その命令通り新生児を連れて1週間で職場復帰をいたしました。何とイケズでセンスのないオバサンなんだろう産前産後の休暇も取らせない…(就業規則を勉強せんかい!)と幾度も々腹を立ててそのひどい仕打ちを思いながら彼女の観察をしていた私です。人の上に立つという事はややもすればその人の人生そのものを束縛し生活のバランスを崩してしまう可能性もある事を考え、人を思いやることの大切さを痛感した出産間もない頃の私でした。
しかし、私はこうしてずっと仕事を続けてこれた事に喜びを感じています。87歳でこの世を身罷った母は、大正7年生まれだと言うのに、衣・食・住全ての達人でした。とても近代的で私と同格と言うより私はいつの間にか彼女から生活センスそのものを身につけていたのでしょうね。
今頃は、女性だから、男性だからと性別の物言いをしていたらジェンダー提唱者の方々からは、“あんた、何言ってるの”と軽蔑されるかも知れませんが、私はあくまでも女性である事に喜びと誇りを感じて、女性であることの中での生き方をしたいと考える、古い考えの持ち主の日本女性なのです。即ち、歴史的、文化的、社会的な男女の差など何も考えない自分の仕事と女性の領域を全てクリアして生活全面の指揮をしたい!それは音楽にも類似している。そして、絵本の読み聞かせやマジシャンの手品にも…。それ等は人々を魅了し、興奮の渦の中に引き込み、10本の指をキュッととじて終止符を打つ指揮者の姿そのもの。それがセンスなんです。ただ恰好いいステキなファッションだ、スタイルだと言うチャチなものでなく、その人に漂う、その人だけの感性、品性…と表現し難い持ち味と言いましょうか、幅広い教養の部分の中身反射でしょうか。即ち、表面的なセンスは誰が見ても解りますが、内面的なSenseはその人を知って初めて解るものなのです。そうした内面からの感性は何から生まれるのでしょう。それは身近なものであれば、本を読んだり、人の話しを聞いたり、美しいものの鑑賞ですね。絵を見たり歌舞伎や演劇に馴染み、時に名刹を訪れたりする事により、その人のセンスは高まります。それは微妙な味わいを奏で、決して真似の出来ないその人独自のものなのです。即ち己を知り抜いた人の決して華美でない、むしろ地味で洗練された生活の中から湧き出てくるものだと思うのです。私はこれからも今迄と同じ生活体系の中で、女性として自分の生き甲斐を全うしつつ、私なりに尚Senseのいい生き方を続けていきたい。祖母の代筆の手紙や母の生活達人の面影を偲びつつ。
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